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2019/10/4~10/6  岡田 祥子:芝居屋さんプロデュース『トーフの心臓』(應典院寺町倶楽部協力事業・大竹野正典没後10年 記念公演)レビュー

去る10月4日~6日に、芝居屋さんプロデュース『トーフの心臓』(應典院寺町倶楽部協力事業・大竹野正典没後10年 記念公演)が開催されました。故・大竹野正典氏のコメディテイスト溢れる作品を、作家と作品世界への大きな愛と敬意を随所に散りばめた演出で懐かしくも新しい空間に創り上げました。今回は、読む人・観る人・書く人の岡田祥子さんにレビューをご執筆いただきました。


やがてかなしきー『トーフの心臓』を観てー

10月4日と5日夜、1時間50分、浄土宗應典院本堂にて、大竹野正典没後10年記念公演芝居屋さんプロデュース『トーフの心臓』を観た。大竹野正典作、黒澤隆幸演出である。当日パンフレットの芝居屋さんの文章によると、この作品は1993年2月に扇町ミュージアムで上演されている。その時からすでに26年が経過しているが、さほど古さを感じなかったのは、作者と私が同世代だからだろうか。悪名高かった戸塚ヨットスクールとおぼしき学校が出てきたり、「ちびくろサンボ」の歌が歌われたり、はっきり当時の時代性が現れているのだが、若い人は違和感なく観ていたのだろうか。そもそも題名の『トーフの心臓』自体が、萩尾望都の漫画『トーマの心臓』のもじりである。ドイツのギムナジウムを舞台にユーリとエーリク、2人の少年の愛が描かれた『トーマの心臓』は、10代の頃の私の最大の愛読書であったが、今も読まれているのだろうか。 聞いてみたいところである。

 

さて、『トーフの心臓』は人気脚本家だった向田邦子のテレビドラマ『あ・うん』のパロディコメディである。1993年当時作者は33歳の若い作家であったが、大胆にも登場人物や大筋を当代の人気テレビドラマの『あ・うん』に借りつつ、見事なまでに達者に、まるで別作品の味わいに仕立て上げた。

ミズタとカドクラという40歳、中年の男2人の愛の物語である。2人は昔スパルタ式のヨットスクールの同級生であり親友であった。溺れたカドクラがミズタに助けられて一命をとりとめたという過去を持つ。成人し互いに家庭を持っても友情は続いている。ミズタはサラリーマン、妻タミコと娘のサトコがおり、父親と同居している。カドクラは自営業の社長であり、羽振りが良かったのであるが、商売に失敗し不渡りを出してしまった。妻キミコがいるが子どもはいない。母親と同居している。若い愛人のレイコが六つ子を妊娠中である。問題はあるが、まぁ、どこにでもありそうな普通の家庭ミズタ、カドクラ家の家族たちが、泣いたり怒ったり大騒ぎしながら「破綻」あるいは「愛の成就」という結末に向かってゆく。

舞台はミズタ家の居間、レイコの妊娠によってカドクラが妻を選ぶか愛人を選ぶかという問題が勃発する。話がこじれ、家族がそれぞれに本音を語り出すと、次々とほつれが出てくる。騒動の果て、ついに耐えかねたカドクラがミズタに告白をして一緒に逃げてくれと頼む。ミズタは拒絶する。タンゴの曲がかかり、カドクラのリードで2人は踊り出す。

最初ミズタの動きは固い。しかし、照明が赤く切り替わった頃からその動きは積極的になり、最終的に息がぴったりと合う。10月というのに大汗をかきつつ中年男2人がどこまでも真剣に激しく踊り続けるのである。拒んでいたミズタの心変わりは、踊りと表情の変化によって言葉より雄弁に観客を説得する。

タンゴの最中、ミズタの妻タミコは柿と包丁を持って登場し、踊る2人の背後で黙々と剥き始める。彼女は食べない。同時に登場人物全員が剥いた柿の皿を持って登場し、舞台脇に並ぶ。彼らは食べながら2人を眺める。このときの彼らは世間であり、甘い果実は男2人から提供された世間が大好きなゴシップである。彼らが咀嚼しつつ見守るなか2人の最後のポーズが決まる。愛は成就した。と思ったその瞬間激しい破壊音が響く。タミコが恐ろしい形相で柿を断ち割ったのである。上手からサトコが静かに歩いてくる。中央の階段を一段上がり正面を向く。旧約聖書の『創世記』19章の1部が朗読される。「天使がソドムを滅ぼすことを決定したことをロトに伝える。ロトは、夜明け前妻と娘を伴ってソドムを脱出する。逃げる際『後ろを振り返ってはいけない』と指示されていたが、妻は後ろを振り返ってしまい『塩の柱』となってしまった。」というくだりである。サトコはおもむろに髪が垂れてこないようにピンで留めた後、こわばった顔のまま立ちつくす。髪の毛一筋すらそよがぬようにして「塩の柱」と化したのである。明るくいい子すぎるぐらいの子どもだったサトコであるが、ここで母タミコと相似形の人物と化した。台本と比べると、タンゴや聖書朗読やサトコの登場が加わっており、演出家の意図が明確に打ち出され、わかりやすくなった。

ビフォートークで広瀬泰弘さんが「『トーフの心臓』という題名の意味も考えてみてください」と話していた。劇中タミコ登場の際トーフを持っているし、騒ぎがいったん落ちついたとき湯ドーフを全員で食べる場面があるように、豆腐はこの作品ではシンボリックな食べ物である。広瀬さんは全集の解説で「触れればすぐに押しつぶされてしまうようなトーフの心臓を持つ男たち」と書いている。またむろん前述したように、萩尾望都の『トーマの心臓』も重なってくる。『トーマの心臓』の世界を思い出すと、村尾オサム演ずるカドクラ、戎屋海老演ずるミズタ、この分別盛りの男たちが繊細でリリカルな思春期の少年たちに見えてきたから不思議なものだ。コメディでさんざん笑っているのに、観劇後の心は澄みきって哀しい。演出の黒澤さんは当日パンフレットに「生前大竹野氏と初期の今村昌平監督の重喜劇で括られる作品について話したことがありました。今回の芝居を大竹野正典にささげます。」と書いている。その味わいはまさに「重喜劇」であった。

蛇足となるが、今回観劇中、自分でも忘れていたようなことの記憶の蓋が開き、不意に懐かしい匂いの風に吹かれる思いを随所で味わった。例えば、冒頭いきなりオスマントルコの軍楽隊の曲「ジェッディン・デデン」がかかるが、これは向田邦子脚本の人気テレビドラマ『阿修羅のごとく』のテーマ曲だった。小室千恵演ずるキミコが、ちゃぶ台に立ってガス管握り大演説をぶって姑から「臭いよ、キミコさん」と言われるシーンは、音楽も語りもまるで紅テント唐ばりのセリフまわし、昔の小劇場芝居を連想させた。

これらの演出は決してパロディではなく、当時の時代や人々へのオマージュだと思いたい。

 

最後の最後に。年を重ねたベテランの役者陣が勢ぞろいするなか、サトコを演じた岡田玲奈が突出して若かったが、「インドの虎」の歌から「大漁節」に至るまで歌もうまく、手練れに囲まれつつ堂々と演じていたのが爽やかな印象として残った。

 

芝居跳ね重き寺院の扉押す 月澄む道は歩いて帰ろう

 

プロフィール

岡田 祥子

16歳から短歌に熱中、寺山修司の短歌「田園に死す」を愛唱する高校生だった。この頃から観劇はアングラ中心で、大学で山海塾の『金柑少年』を観た日の衝撃は忘れられない。高校の国語科教員となり、退職まで演劇部の顧問として、寺山修司、チョン・ウィシン、唐十郎、等々、高校生と戯曲に向き合い、芝居作りを楽しんだ。リタイアした今、これからは、観る人、書く人になりたいと思う。