イメージ画像

2019/10/23-28 小林瑠音:大舩真言展「中空」(ちゅうくう) 展覧会レビュー

去る10月23~28日に、大舩真言展「中空」(ちゅうくう) が開催されました。作品世界について神戸大学国際文化学研究推進センター学術研究員の小林瑠音さんに展覧会レビューをご執筆いただきました。


 

大舩真言展「中空」

小林 瑠音(神戸大学国際文化学研究推進センター学術研究員)

 

本堂の暗闇に表出するのが今回、日本初公開となった《VOID τ》。円形のホールの天井から吊るされた直径2.7mの大作である。入口のカーテンを開いて中に入ると、高さ8mの空間に深い瑠璃色の楕円のような世界が浮かび上がり、その中に淡く白い光源が滲み出る。そして目を凝らせば凝らすほど、その画面に渦を巻くような筆触が粒子となってジワジワと動き出す。円形なのか楕円なのか、平面なのか球体なのか、その可動域は無限だ。実際、大舩の作品に対峙した鑑者は口をそろえて「作品が動いているように見える」と話す。

今回の《VOID》はとりわけ照明が極限に抑えられた暗がりの中に設置されているため、鑑者の眼が闇に慣れていく過程において、この視覚効果は増幅する。特に昼間の鑑賞体験は秀逸だ。ガラス窓からサンサンと降り注ぐ太陽光のもと、本堂に足を踏み入れるとまずは闇の世界に圧倒され、その真正面にじんわりと浮かび上がる青の美しさに息をのむ。夕刻から夜間に至っては、また異なる世界感が現れる。屋外に広がる大蓮寺の墓地の暗がりとその奥につづく生國魂神社の森の木々、その静かな濃紺の世界の延長線上に本堂の闇が続き、そこに佇む巨大な作品に吸い込まれるような感覚に誘われる。岩絵具の筆致とそれを眺める鑑者、外界に広がる下寺町、これらのあいだにあるはずの境界が溶け出してすべてが一体となり繋がっていくような体験である。そして、実はこの作品の後方に安置されているご本尊阿弥陀如来像の存在が密かに時空の超越を演出しているのである(ただし極度に暗くされた空間の中では、その存在にほぼ気付かない状態になっている)。

大舩真言

さらに、本堂ホールを出て摺りガラス風のパーテーションをくぐると、大都会のエアポケットのように広がる緑と墓地が見渡せるガラス張りの空間が現れ、そこにはいくつかの白い円形のクッションが無造作に並べられている。鑑者はそれが作品なのか座るためのクッションなのかと戸惑いつつ、控えめに奥の長椅子に腰をかけ、まずは会場を一望する。そこでは通常とは異なり窓ガラスのちょうど下半分が摺りガラスになっていて着席した鑑者の目線から墓碑は見えない。上町台地の海食崖を覆う緑と移り行く空の色で構成される風景が、この摺りガラスによって一直線に遮断されている。

そこに座ってしばし鳥の声に耳をすませていると、隣で同じように長椅子に腰をかけていた背の高い男性がフワっと立ち上がりおもむろに会場内を歩き始めた。そこでふと、彼が裸足であることに気づく。ひきつづき横目で彼の一挙手一投足に細心の注意を注ぎながら、水平に遮断された外界の景色をゆったりと眺める。彼の挙動は明らかに普通の鑑者のそれとは異なり、クルッとまわったり、摺り足になったり、地べたに横になったり、と自由なのである。「あれ、何かそういうインストラクションがあったのだっけ?」と入り口で配られた会場案内図に目を通すと、キャプションの中に「人」という文字があることに気づきハッとする。そして再度目にした彼の身体的フォルムの美しさに、しばし見惚れるのである。

実際に会場を訪れた方は筆者と同じような体験をされただろうか。控えめな説明書きからはなかなか気づきにくいかもしれないが(「人」の存在自体にも気づかずに会場を後にされた方もいたかもしれない。しかしそれもひとつの鑑賞体験としてこの作品の中に内包されている)、実は彼は今回の展示に意図的に組み込まれたプロのコンテンポラリー・ダンサー(國本文平)であり、会場の状況に呼応しながら場を動かす重要な一要素なのである。

今回の展示では、キャプションや概説を最小限に留める形で、いくつかの密かな仕掛けが施されていた。それに気づくかどうかは、鑑者の直観やタイミングにゆだねられていたといえるだろう。昼、夜、晴れの日、雨の日と時間や天候によっても全く異なった様相をみせるこの空間に身を置いていると、どこまでが意図的に作り込まれた作品でどこまでが偶然の自然美なのか、私は何かを見ているのか、見られているのか、その境界が曖昧になって混然一体となっていく。大舩の作品はそれらの間の往還を演出するひとつの装置として静かに存在していたといえるだろう。

そもそも「中空」とは「内部がからになっていること」、《VOID》はすなわち「空虚」を意味する言葉である。いずれも「何も無い」状態を表す単語だが、作家の意図はむしろ逆説的に私たちの多様な知覚を喚起することにある。実際に、二つのインスタレーションを行き来しながら、気がつけば会場に1時間2時間と時を過ごす鑑賞体験は(時に4、5時間過ごした方や、別の日に再訪した方もいた)何か一つの対象だけを見ている状態ではなかったはずだ。その心地よい時間が体を通りぬける感覚が常に新鮮で時に刺激的なのは、本展で用意された空間が、外界にも鑑者の内面にも開かれ、過去や未来など様々なベクトルとも繋がり、その場の他者(ダンサーも含め)とも通底していたからであろう。これらすべての通時的・共時的な越境と交錯が織りなす空気感が今回の「中空」と名付けられた展覧会場に充満していた。

人物(五十音順)

小林瑠音
(前應典院アートディレクター・神戸大学国際文化学研究推進センター学術研究員)