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2019/10/25 小林瑠音:大舩真言展「中空」(ちゅうくう) 対談抄録

去る10月25日に、大舩真言展「中空」 の関連イベントとして、 秋田 光彦(浄土宗大蓮寺・應典院 住職)×大舩 真言の対談がが実施されました。語られた内容をふまえて、神戸大学国際文化学研究推進センター学術研究員の小林瑠音さんに対談抄録をご執筆いただきました。


 

ポーランドでの出会いから

そもそも今回の展覧会開催のきっかけとして、昨年ポーランドでの秋田と大舩との偶然の出会いがあった。

秋田(以下A)「昨年、クラクフの日本美術技術博物館Manggha(マンガ館)で開催されていた『龍野アートプロジェクトin クラクフ』に出展されていた大舩さんの作品を鑑賞し、ご本人とも初めてお話ししました。『お寺でやったら絶対に似合いますよね』と声をかけたのを覚えています。」

 

大舩(以下O)「今回の展示作品《VOID》は、クラクフでの展示作品よりも小さいサイズなのですが、本堂に設置するとその何倍も大きく感じますね。」

 

A「ここは仏教寺院にはめずらしく本堂が円形であるのが特徴ですが、その意味で中心性がはっきりしています。今回の作品の後ろにご本尊である阿弥陀如来像がいらっしゃるのですが、ご本尊が前にでてくると作品は背景になってしまってバトルになりがち。しかし今回の作品はこの場と一体になって空間をひきたたせていると思います。」

 

O「実は、毎日、國本文平さんというコンテンポラリー・ダンサーが会場にいてくださっている。ダンサーとしてではなく、ある意味でお客さんと同じレベルで、時に動いていたり横になっていたり。『象徴』として入っていただいています。会場の窓が半分摺りガラスになっていて、外と内を出たり入ったりする中で、この空間が外の影響を感知する場であってほしいと思っています。」

 

應典院という場所とアート -西方浄土、都市のエッジ、無縁所

その後、秋田は「山越阿弥陀図」を手に日本人の死生観、そして應典院が位置する場所の特殊性について話題を展開。

A「この絵はいわゆるお迎えの図と言われるもので、亡くなる直前に仏さんに誘われる看取りのツールでもあります。たくさんの図柄がありますが、この絵の中では山の向こう側に仏がいる。天空の彼方ではなく山という私たちの身近な自然の向こうという非常に距離の近いところに仏、お浄土がある。この考え方はおそらく極めて日本人的な浄土観です。(さらに問いかけたいのは)仏さんの光背はなぜ丸いのか(ということ)。答えは夕日なんです。西方浄土という夕日の姿をイメージしながら仏のイコンを浮かび上がらせるという構成です。夕日という円形を死者の象徴として、その向こう側、山の向こう側に亡くなった人の住処があるという日本人の死後のイメージです。この應典院がある場所も、東の方角に上町台地の高い石垣がたちあがっていて、深い緑と無語の死者たちの墓碑が並ぶ都会のエッジ。実際、空間のもっている力の中にこのお寺が存在しているという自覚をもっています。さらにこの地域は一心寺や四天王寺に繋がる寺町が約1km続いています。寺町というのは、本来は誰も差別せずに受け入れる『無縁所』いわゆる『アジール』。つまり仏の絶対慈悲によって俗世とは切り離した状態の共同体を保証するということなんですね。白黒と区別をつけるのではなく包摂していき、その境目に寺町がある。俗と聖、生者と死者、どこに境界があるかわからないが足を踏み入れると確かに切り替わる。本来のアートもそうじゃないでしょうか。それを寺という空間でどう実現していくかということを22年間やってきました。しかしお寺単独でできることは限られているし、アーティストとコラボレーションすることでこの場所のもっている世界観はどこかで共有されることが大切だと思っています。今回、≪中空≫というタイトルの作品をお預かりしてこの場所の本質、無縁所としてこだわってきた意味をつきつけられている気がしています。」

 

O「日本の古い絵をみていても、手前のものを通じて奥の景色をみるという構図。手前があるからこそ、より遠くを感じるというのは西洋絵画の遠近法とは異なる構図です。私自身も宗教空間、例えば海外の教会で展示をする機会がありましたが、共通するのは永遠とか無限、どこまでも続いていくという、空間や時間だけでなく精神的なことです。呼吸するということも、このへんの空気を吸って吐いているだけではなく、より大きなものを全身で吸って吐いている。作品の在り方もそうあってほしいのでわざと野外に置くこともあります。ギャラリーや美術館での展示は、枠組みや常識、意識の中である種の方向性が定められた環境です。宗教空間はリミットがないため、制作するときの力の入り方も違ってくる。突き抜けないといけない、試されている感覚です。」

 

A「『お寺でアート』(という試み)は近年広がってきていますが、22年前にスタートしたときは奇異の目でみられました。宗教の強みであり弱みであるのは、信じるか信じないか。仏の絶対慈悲といいつつ、(実際には)仏教徒だけ、浄土真宗だけだよという無言のカテゴリーがある。そこに大舩さんの作品をポーンと入れるとその二元論を超えて、境界が溶けていく。さらに、『空』の思想とは、簡単にいうと繋がり、(あるいは)徹底的に存在を疑うことを意味します。自己の存在、世界の存在はない。実態はないが本当にないかといえばないとはいえない。ひとつの連続的なプロセスの中に存在があるのであって、ワンカットの写真や作品の中にあるのではない。もっと言うと空間、都市、ここに居ない人も含めて大きな繋がりの中においてあるといえるのです。クラクフで『仏教的ですね』といったのはその部分が作品として感じ取れたからでした。應典院という劇場でもギャラリーでもない、お寺でもないのかもしれない、それ全部の時間の連続において應典院という場を作り上げているということと、『中空』のメッセージは非常にマッチしていると思います。」

 

フランスでの展示経験を経て

 最後に、2016年にパリのセント・メリー教会で開催された個展‘Particules en Symphonie’について、制作秘話や異文化との葛藤などへと話題が広がった。

 

A「ヨーロッパでの展覧会を開催される際に、居住まいがわるいんじゃないかと思うこともあったのですが、教会建築って圧倒的ですよね。空間との対峙の仕方は変わるのではないですか。」

 

O「正直最初はだいぶしんどかったですね。日本だと何もしなくても自分の感覚に通じる場所が用意されていて何もしなくても作品を置いただけですべてがフィットしますが(他方ヨーロッパでは)それが全くない。パリの教会でやったときは、毎日通って、そのうちメジャーを持ち出して格闘していました。パブリックな場所で2ヶ月以上の展示。主張だらけとも感じる空間で、さらにお葬式、セレモニー、コンサートなども含め、様々な催しも行われる空間でどうするか。(結局最後には)天井しかないなとなった。そこにいればこの場をすべて受け入れられる。そこに存在するしかない。また展示に向けて現地制作をさせていただくことになったので、最終的には僕が鍵をしめて、住民のようになっていくと、最初の頃に比べると周りの反応も変わっていきました。自分の心と身体も馴染んでいってたんですね。

 

A「中空のメッセージは伝わった?」

 

O「作品のタイトルをつけたら大げんかになった。『外には出せない』と。テキストを書いたら今度は『これは理解されない』と言われました。‘Particules en Symphonie’ ≪調和の中の粒子≫、つまり空間の中でいろんなものが混ざってぶつかりあってるけれどもその全体の調和の中に入り込む、参加するという意味です。しかし、向こうは『いやちがう、人間ありき。自分たちが調和を作り出している』と。結局テキストは教会側の担当者が書いたものと私が書いたもの2枚を置きました。最終的には私のメッセージは伝わったと思います。メジャーなメディアにも取り上げられ、そこでは『和紙、岩絵具、膠とアーティストが一緒に作品を支えている。アーティスト大舩は、自分が消えている、素材があって自分自身もその一部となって作品を支えている』と評価いただきました。」

 

A「『空』の思想でいえば、自己が存在しないというところ、日本の精神基盤には目に見えない意識があります。西洋近代は、自己は存在する、優先される、世界は構築されるべきであるという中にある。しかし、それは無理やろー、台風きたら逃げるしかないやろー(という感じで)日本人はどこかで状況を受け入れる、戦わない。逆に中に入って馴染んでいくのではないでしょうか。ヨーロッパとは気候風土の違いもあると思いますが、大舩さんはよくその本丸でなさったなぁ。」

 

O「常に自分の作品という感じではない。むしろ自分の手を離れているところを探している。展覧会中も作家ですという感じで会場にいないようにしています。人が自分の作品をみている空気感が好きですね。作品のイメージが見ている人の背中で変わってくるんです。右から順番に見る人もいますけど、仁王立ちで立ってバックしてポジションを探られてる方もいます。その様子が特に好きです。その人の景色になってる瞬間があるんです。その人の記憶、経験、繋がりの中で作品がみえてくる。だからできれば何度もみにきて時間を過ごしてくださいと言っています。」

 

自己と他者、過去と未来などあらゆるボーダーを溶かし出す大舩の作品。そして、俗と聖、生者と死者の境目に存在する應典院。これらの共通項は「境界」であり、両者の間にはその他にも数多くのエッセンスが共有されている。異文化の地、フランスでの葛藤を経て、日本の仏教寺院での開催となった今回の「中空」展では、大舩の作品が驚くほどすんなりとはまる感覚が再認識されたのではないだろうか。白黒はっきりしない境界の存在を自認しながら、それらの間をたゆたうという居住まい。それが違和感なくはまるということは、視野を地球規模に広げてみると、実は非常に貴重なことなのであると気づく。都会のアジールとして佇む應典院の磁場が、本展のもつ歴史的・地政学的な深みをさらに増幅させ、互いに共鳴していたに違いない。

人物(五十音順)

小林瑠音
(前應典院アートディレクター・神戸大学国際文化学研究推進センター学術研究員)