2020/3/26~3/29 白井 宏幸:光の領地『同郷同年』(應典院舞台芸術祭Space×Drama×Next2019)レビュー
去る3月26日~29日に、光の領地『同郷同年』(應典院舞台芸術祭Space×Drama×Next2019)が、感染防護を施し、客席の間隔を取るなど細心の注意を払い、上演されました。同郷同年の3人の男が、故郷の放射性物質の最終処分場の誘致をめぐり翻弄され飲み込まれていくという、政治・経済・社会・まち・命‥など様々な観点から問題を突き付けられる秀逸の作品。今回は、ステージタイガー所属俳優の白井宏幸さんにレビューを執筆していただきました。
三寒四温、雨の降るたびにまた寒さがもどり、
安心を得ることにも幾分努力のいるような週末でありました。
光の領地「同郷同年」を拝見いたしました。
演劇もこの世の中に必要である(ここではあえて「も」としておきます)ということを力強く主張するに足る作品でした。なんでもいいんです。美味しいものを食べるでも、好きな本を読むでも、映画を見るでも演劇を見るでも。
心の望むことを普通にできる世の中が保障されているべき、というのが先進社会の一つ条件であるのではないかと思います。
とはいえ、この時期にこの作品に対してのレビューを書くことについては、若輩者の自分は
「やっちゃったなぁー」
という思いではあります。
ただ、きっとこの舞台に対して観客席側から臨んだ人たちの想いとしては、これは全く不要不急ではない。
演劇は最低限必要であるべきものである。定期的に摂取するべきものであると、観劇していたのではないだろうかと思いますし、ある種、すがっていたと言っても過言ではないかもしれません。
放射性廃棄物質最終処理場をめぐり、その時々の社会情勢であったり、住民の感情であったり、政治などが絡み合い、立場や状況が変わっていく中で、タイトルにもある通り「同郷同年」のつながりを持った3人が、根をおろすように踏ん張っていた地ごと、気づけば漂流してしまっていたというお話、と取れました。
「人間」が「得体の知れないもの」に飲み込まれないように立ち向かうためには、団結をするか、脱却をするか。脱却する場合に、捨て去るものとして「物語」があるように思いました。
生まれてきたときから植えつけられてきた、もしくは、それよりも前、親の代、祖父母の代、どんどんと遡り、植えつけられてきた、物語。家族は大切にしなくてはならない、勤勉であらねばならない、質素であらねばならない、悪いことをすればバチが当たる、蓄えを持っておかなけれなならない、などなど教訓や教えといった名前で呼ばれる「物語」たち。今の自分を作り上げている物語を捨てて前に進む。
そういったものを抜け出し、次に行こうとしたのが、本作に登場する田切章である。
けれども、国に迎合し、電力会社の中で地位や権力を得た彼でさえも、
「そこに住むものに一瞥もしない得体の知れない権力」というものの前では全くなすすべもなく、立っている地面ごと、どこともしれない場所に流されて行ってしまった。
いま、この時期における私個人のフィルターを通して受け取ったメッセージは以上のものになります。
どれだけ、こちらがどれだけ団結しようとも、どれだけ突出した人間がいようとも、
あちら側の「なにか」は我々には一瞥もくれずに飲み込んでいく。
「なにか」とは、ウィルスであったり、権力であったり、そういう目に見えないもの。
相手にもされないまま飲み込まれていくのです。
このレビューが一つの物語のセオリーを守るのであれば、
ここで一縷の望みを書き記して、括りとしたいところであります。
現実は、物語を超えていくものであるから、飲み込まれていこうとするわれわれは、より強い団結でもって、しっかりと抵抗したのであった、めでたしめでたし、と。
が、なかなかそのように書き記す勇気が今はありません。
普通の、日常を取り戻すために、自分が正しいと思ったものすら、本当にそうかと疑問を持って、選ぶ努力をするしかないのではないか、今はここまでしか言えません。
きっかけとなったこの作品に感謝する他ありません。
白井宏幸
ステージタイガー所属 俳優