イメージ画像

【ご報告】應典院本堂にて感謝の法要を執り行いました。

かねてよりお知らせの通り、5月31日をもって應典院の一般利用(大蓮寺・應典院主催・共催以外の、一般の方々に表現の場として本堂を活用いただくこと)を休止することとなりました。29日には職員が揃って、ご本尊に23年間のご加護に対し感謝の法要を執り行いました。長い間のご愛顧に心よりお礼申しあげます。本当にありがとうございました。

施設の老朽化と運営費の逼迫が理由で、休止を発表したのが昨年10月のこと。実はこの5月の最終週には有縁の皆さんとともに送別の場を設けようと企画していたのですが、思いがけない事態となり、残念な末尾となってしまいました。コロナ禍と今回の休止は何の関係もありませんが、芸術文化と社会のあり方が問われている最中に幕を閉じるのはいささか口惜しくもあり、申し訳なく思います。

23年間を振り変えれば思い出は尽きません。その一つ一つは大切に私の胸に閉まっておきますが、その間、「お寺でアート」という異種混合は、たえずカオスの場であり続けました。スタート当初は、お寺でも劇場でもない「いい加減さ」に対し、宗教者、表現者双方から批判されたこともありました。

もとより應典院は寺院として再建されたわけですが、その存在の意味を問い直すたびに表現の場として開かれていき、若い才能とともに成熟していった経緯があります。今頃は「お寺でアート」といったイベントは全国あちこちに散見できますが、これほど長きに渡って芸術文化の場として役割を問い続けた例は多くはありません。それはお寺本位の思慮にとどまらず、多くの表現者との協働や共創を繰り返してきた故の「強度」が基盤にあったからでしょう。

一般利用は終わりますが、應典院がなくなるわけではありません。すでにご承知の通り、2年前から本寺・大蓮寺と連携して「おてらの終活事業」に取り組んでいますが、スタイルは違えど、生と死をつなぐコミュニティとしての役割は変わりありません。その拠点として、年内には應典院内に訪問看護ステーションを設けることも内定しています。
終活もまた人生の完成期の表現ですから、演劇やアートといった芸術文化が再び息づくことも在り得ることでしょう。これからは、23年間培った「場の力」をさらにアップデートしていこうと念じています。

これまで多くの表現者、実践者と場をともにしてきました。本番だけでなく、稽古場やアトリエ、ワークショップやダイアログなど数え切れない現場に立ち会ってきました。その一つずつが應典院にとってゆたかな場の記憶であり、また今日まで存在を支えたプライドでもありました。特に應典院寺町倶楽部のみなさん、この場の特性をよく理解してくださり、ともに育んでくださったご厚意に心から深謝申し上げます。本当にありがとうございました。

み仏のご加護に感謝して。南無阿弥陀仏。

應典院住職 秋田光彦

*緊急事態宣言により開催延期となっている一部の催しは、感染予防につとめながら行います。

人物(五十音順)

秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)