2023/2/1【住職ブログ】自己決定がキーワード「問題を支援される存在に閉じ込めないで」
これも生まれ育った境遇なのだが、私は自分で自分の人生を決定していない。お寺の世界では何事もご縁であって、紆余曲折あったが、結局元の鞘に戻って、さらに予想もしていなかった幼稚園の園長まで引き継いでいる。職業選択の自由がありながら、私は、代々の役割を受け継いでいるに過ぎない。ありがたいと思うが、自慢できるものなど何もない。自力で獲得したものは何一つないのだ。
今日、久々にアートイベントに参加した。上田假奈代さんの「釜ヶ崎芸術大学」が「大阪・関西国際芸術祭2023」に出展していたからだ。いつもの通り、ハットに着物姿の假奈代さんは、「詩の学校」以来20年のつきあいだが、彼女はここでも現役バリバリだった。若い人に囲まれ、「社会から周縁化された人々の表現」についてしなやかに語る。今日に至る経緯はよく知っているのだが、困難を困難ともせず、力み過ぎず、茶化し過ぎず、いつもと変わらず表現の海へと誘う。
尊敬すべきは、私の知る限りにおいて、彼女は2002年「詩業家宣言」以来、一貫して自分で決めた道を歩いているという点だ。21年目の独立独歩。そういう人の言葉は胸を打つ。
ちょっと話がジャンプするが、うちの幼稚園では今「主体性の保育」を進めている。いろんなことを子どもたちに決定権を委ねる。遊戯会の衣装は、クラスごとにデザインの違うTシャツだったが、子どもたちがみんなでテーマを決め、銘々に絵具で描いた。来月の音楽リズム発表会では、年長・年中児の合唱曲は自分たちで決めた。いくつか候補曲を聴いて、自分が歌いたい曲に投票したのだ。幼稚園園児なんて、なんでも大人の指図が必要だと思い込みがあろうが、担任が「どう思う?」と聞いたら、ちゃんと意見を述べる。自分たちで決められる。そういう経験が、子どもの時代からもっと必要なのだ。
自己決定がキーワードである。終活の決まり文句「最後まで自分らしく」も、自己決定の人生最終盤だ。あなた任せやお頼み、お願いがそんなにわるいとも思わないし、假奈代さんももっと安心して依存していける社会を目指しているはずなのだが、しかし、それでも自己の人生をそのために捧げようとする決定は尊い。
「問題を支援される存在に閉じ込めないで」
少し痩せたように見えたが、私には上田さんは20年前から変わらず神々しく見える。一攫千金を狙う起業家たちと、志すところが違う。
「由緒あるお寺の何代目」とかいわれて、ドヤ顔しているようではだめだ。それはあなたが自分で決めたことではない。そのご縁をありがたいと思うなら、報恩の気持ちで今、目の前にある課題に全力で取り組め。悩んでいる暇があるなら、ココルームに修行に行け。
▽釜ヶ崎芸術大学
▽Study: 大阪関西国際芸術祭
https://www.osaka-kansai.art/artist/kamagasaki/
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