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2023/10/20 【開催報告】應典院寺務局:「碑文谷創さんのお話をきく会in関西~次世代に心ある弔いを繋げるためには?~」を開催しました。

去る10月20日、「碑文谷創さんのお話をきく会in関西~次世代に心ある弔いを繋げるためには?~」を大蓮寺客殿にて開催しました。

葬送ジャーナリストとして、「弔い」をあらゆる角度から調べ、考察し、書き記しつづけてこられた御年77歳の碑文谷 創さん。鋭い指摘と、揺るぎない理念と知識から裏付けされた柔軟な考え方で、次々と課題を整理し、これからの視座を与えてくれました。
主な客層は30代~40代の宗教者、葬儀関係の方々で、まさに「次世代」とともに過ごすことができました。

冒頭に、秋田光彦住職からのあいさつ、そして司会・聴き手の池邊文香さん(せいざん株式会社)から会の趣旨などを説明し、その後は事前勉強会やアンケートをもとにした合計16問に及ぶ質問を池邊さんから投げかけ、碑文谷さんに順次お応えいだたきました。最後に、集まったもの同士で感想を数分話し合い、質疑応答をもって終了しました。4時間にわたる開催でしたが、まだまだ足りないと感じられるほど盛り上がった時間となりました。一部を抜粋し、開催報告とさせていただきます。

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「葬送」についての研究も少なく、死を扱う職種に対して偏見をもたれてきた時代に、はじめて碑文谷さんが葬送文化専門雑誌「SOGI」を創刊され、「死」「葬送」にまつわる事柄を、枠をつけずに何でも取り上げ、その「歴史」を捉えてこられました。また、碑文谷さんが執筆された「葬儀概論」(現在四訂版)は、葬祭ディレクター(労働省技能審査制度)の教科書となり、葬儀に関わる方々のプライドを守り、その仕事の意義を押し上げてこられました。碑文谷さんは「葬祭に関わる人間には理念が必要」と常々伝えてこられ、特にこれからの多死社会において「”ひとり死”を見送る・自分一人でも心から手を合わせることができないのならば、この仕事は辞めた方がいい」と仰り、”理念”の意味を真向から感じることができました。

宗教者にとっては、耳の痛くなるような内容もありましたが、それを受け止め、これからどう歩むのかを激励するものでもありました。「事実、葬祭における宗教者は軽視されている」「僧侶だから葬儀に呼ばれる権利があると思ってないか」「僧侶はいなくても民衆は葬儀をやってきた」「葬式”だけ”やるじゃなくて、葬式”も”やる姿勢で」「意味もわからない、格好つけるためだけの読経はただのBGM」「葬儀で、できるだけ努力はするが、それだけでなんとかなる、伝わると思わない方がいい」「死者を送り出すために”祈ること”が大切」など、厳しい言葉もありましたが、根底には“ひとりひとりの死を大切に悼むということ”そして“命はかげがえのない重いもの”という、碑文谷さんの想いが言葉の端々から感じられました。

また、葬儀社と宗教者双方に関係することとして「僧侶派遣サービス」「コンサル業者の存在」「葬儀の簡略化」などが挙がりました。
碑文谷さんは「坊さんにも葬儀社にもコンサルにも、良い人もいれば悪い人もいる。良いのは2~3割くらいかな」と言われ会場からは苦笑いも零れました。昨今、葬儀社に対してむやみに厳しい振る舞いをする僧侶もいることから、特に若手の葬儀社から「菩提寺恐怖症」と名付けられているそうで、その点、派遣されてきた僧侶の方が、役割に注力し丁寧な振る舞いをされる方が多く、葬儀社からは信頼を置かれているケースも少なくないといいます。事前アンケートでも、葬儀社と僧侶の対立を感じることがよくあるという回答がありました。

また、商売・利益追求のコンサルタントが、派遣僧侶をプロダクションのように扱うことや、お寺に甘い言葉を持ち掛けて大事業をはじめ、お寺が借金を背負うケースも耳にします。ただ一方で、コンサルの存在が第3者の目となりえるということも碑文谷さんは指摘されました。

葬儀社、僧侶、第3者の目としてのコンサルの存在が、うまく協働し高め合うことができるようになるには、やはり互いに対する尊敬が必須であることが伺えました。

みなさんの関心の高い質問であった「通夜・葬儀・告別式の簡略化」については、碑文谷さんから葬儀の歴史をお話いただいたことから、いかにバブル期の葬儀(大きな祭壇と大人数のお参り)を軸としたイメージが我々のなかに根強いかが分かりました。バブル以前の、地域で互いに見送り続けてきた風習を鑑みれば、現在の家族葬をはじめとした多様な葬儀の形は、時代に即しており、色々な声があってよいと言われました。しかし「ここだけは大切にするというものがあってよいと思う」という碑文谷さんの言葉に、大きな杭を打たれたようにも感じました。四十九日~百箇日~一周忌~などといった習慣は、やはり意味があって、それだけ悲しみは続くものであることを気づかせてもらえ「弔いは簡単ではない」ことが伺えます。「グリーフケアしてあげます」といったサービス・商売として行うものではなく、葬儀社も僧侶も伴走者であって、亡くなられた方と遺族が主役であるということを念頭におき、”サポート”に徹していかなくてはならないことにも気づかされました。

しかしながら、日本の昨今の多死・長寿の時代、家族があまり悲しまないというケースもあります。お骨を引き取らない家族も多く見られます。このままでは一人の死がいい加減に扱われるようになるという危機感を碑文谷さんは仰いました。この状況を真正面に捉え「家族を越えたところでの弔い」の必要性を語られ、たとえばいくつかの地域ですでに行われているような、行政とともに歩めるNPOやボランティア団体などで、地域それぞれに見送る者の登録制を整備するなど、現在に圧倒的に足りていない、ひとりひとりの弔いの権利の施行方法を考えていかねばならないことを仰いました。

最後に、あっという間の4時間が経過し、池邊さんが今後に向けたエールを頂戴したいと、碑文谷さんに投げかけたところ「・・・いや~、大変だなーと思います」とつぶやかれました。「今は昔よりもっと色んなところに信頼がなくなってきたよね。だから作るしかない。」と仰いました。

社会模様も、お寺の実態も大変な時代へと加速していきます。一人にできることは限られていますが、ぜひ志を同じくする仲間とネットワークを作り、考えつづけながら、目の前にある存在に向き合っていけたらと思います。

碑文谷さん、お越しくださった皆様、そして実行委員(池邊文香さん、中平了悟さん、長井俊行さん、職員・沖田)のみなさま、本当にありがとうございました。