【全体総括レビュー】中嶋悠紀子ー子どもいろいろ探究フェス「可能性の交差点」の、その先
子どもいろいろ探究フェス 「可能性の交差点」の、その先。
私は東大阪で小さな劇団を主宰している。所謂小劇場系と呼ばれるジャンルだ(と思う。)かつて應典院は演劇公演の出来るお寺として親しまれ、多くの劇団が本堂で公演を行った。私もその中の一人で、2010年、2011年に演劇祭「space×drama(通称スペドラ)」に参加。2018年には単独公演、2019年にはコモンズフェスタに参加し、表現者たちのハラスメント問題をテーマにトークサロンを開催した。私の演劇生活は應典院と共にあると言っても過言ではない。
2003年から2018年まで続いた演劇祭スペドラ、当時のスローガンは「可能性の交差点」。若い演劇人を育てながら、彼らが劇団という垣根を越え、また演劇と他ジャンルが越境して関係を築くことを後押ししながら、新しい知見や社会の問題を解決する術を模索していた。その態度は文化芸術の枠内で完結される他の演劇祭とは一線を画していたように思う。残念ながら應典院は2020年を最後に劇場としての役目を終えてしまうのだが、今年、「あそびの精舎」として新しく姿を変えると聞いて私は飛び上がりそうなほどワクワクした。「可能性の交差点」のスピリッツは消えていない。いや、より強く燃えているじゃないか!と。
「子どもいろいろ探究フェス」は、應典院の中に併設される「パドマエデュケーションセンター(通称PEC)」のオープンを記念して開催されるプログラムで、施設のお披露目と共に、年中〜小学生の子どもたちとその保護者が、PECの探究パートナーやアフタースクールvivid!のスタッフと共に、工作やリトミック、武道や異文化交流などの体験が出来るフェスティバルだ。…カタカナを多用してしまった。つまり、應典院の機能のひとつとして、教育に特化した施設(PEC)が開設され、ここでは習い事や、放課後や長期休暇の学童施設として様々な科目が体験出来るようになるのだが、その一部を、パドマ幼稚園の園児や近隣住民の皆さんにおためし体験してもらう催し、といったところだろうか。
この日は生憎雨足が強く、多くの来場者が冷えた身体で参加することになってしまったのだが、入口を入ってすぐのエントランスでは谷町六丁目の人気カフェ、HICARU COFFEE ROASTER の淹れたてコーヒーで温まることができて(しかも無料だ!)、計5つの体験に参加してシールを集めるとおもちゃがもらえるキャンペーンや、SNS投稿でクッキーが貰えるなど、おもてなしの心も忘れない。また、こちらのエントランスは改装前より明るい雰囲気になっており、特にカラフルなペイントで施された床面は、魂が交錯し、呼び合っているようにも見えて、正に應典院を象徴するアート作品になっている。そこに「住職オススメの本」として、映画やアート、仏教に関する本が並んでいるのが、ちょこっとかわいい。
興味ないものにもあえて触れる時間
体験プログラムは30分のプログラムを5つ、複数のチームに分かれて体験する。好きなものを選んで参加するのではなく、とりあえず全部体験する。これがいい。実際のアフタースクールvivid!(学童保育)のプログラムも、短時間でたくさんの体験を積み重ねるスケジュールになっているようだ。
私たちの暮らす社会は、自分の興味関心のある情報ばかりが勝手に押し寄せて来る仕組みになっている。便利さはあるが、この偏りは自分の世界を狭めてしまうことにもなりかねない。嫌なことを無理に続ける必要はないが「興味なかったけどやってみたら面白かった」という経験が自分の可能性の扉を開くことがあるし、既にある自分の経験と掛け合わせて何かが閃くこともある。実際、ここでの体験プログラムは受け身で日常を過ごしているとまず出会わないものばかりだ。
ちなみに私は合気道の体験をして、呼吸の方法や、相手の力の流れを利用して効率的に動く方法は、俳優が舞台に立つ際に応用出来ると感じて興奮した。気に入っても気に入らなくても30分なのだが、参加した多くの子どもたちが、作業に没入し、身体を動かす中で心から笑うようになっていったのがとても印象的だった。ここで特に興味を引くものが見つかれば、次はひとつに絞って深めていくのも良いだろう。
子どもの伴走者としての探究パートナーの存在
30分で参加者の心を掴むプログラム、それはひとえに導く講師の上手さでもあるのだが、今日ここで前に立っていた人たちは先生ではなく、STEAM型アフタースクールvivid!では「探究パートナー」と呼ばれている社会人の方たちだ。敢えてこう呼ぶのは、生徒に一定の技術を教える、という一方通行のものではないからだ。一緒に何かを感じたり考えたりする伴走者であるのと同時に、時に子どもたちを師として、探究の心を持ち続ける、双方向の関係でありたい。きっとそういう意思表示なのだと私は受け取った。
普段子どもが出会う大人というのは、大抵親か先生くらいのもので、立場として力関係が対等でない場合が多い。一人の人間として尊重し、対等な関係が築ける大人には意外に出会わないものだ。しかしこういう関係こそ重要だと私は感じる。力関係が働かないからこそ自由な発想が生まれることもあるし、本音がぽろりと溢れることもあるだろう。そしてその経験が表現の始まりになるかもしれないし、時に逃げ場所になったりすることもある。もちろんこれは負の意味ではない。安全地帯、という意味だ。
さて、芝居のことばかりで頭をいっぱいにしていた私も昨年出産し、一人の娘を抱える母になった。実母との関係に苦労してきたこともあり、「あなたのために」という言葉で子を縛ってはならない、子を親の自己実現の道具にしてはならないと、自分に言い聞かせては上手くやれずに落ち込む日々だ。子どもの人生だ。私が後押ししてやれることは、自らの力で生きる術を身につけてもらうことだけだ。生きる術とは何だろうか。良い教育を受けることだろうか?それもあるかもしれない。だけどその前に、人と関係を築き、関わり合うことが出来ることではないかと私は考える。それは支配する、されるの関係ではない。「お互いさまね」と助け合える関係性のことだ。人はひとりでは生きていけないのだから、「助けて」と「助けるよ」が言える世の中であった方がいいし、それを伝える術は言葉以外の方法であってもいい。今日の探究フェスティバルにも、そういう優しい空気が流れていた。この空気が波及すれば、戦争のない世の中だって実現するのではないかと夢想してしまう。娘がもう少し大きくなった暁には、是非一緒に参加したい。
中嶋 悠紀子(なかしま ゆきこ)
劇作家・演出家・俳優・一般財団法人生涯学習開発財団認定 認定ワークショップデザイナーマスター。大阪府出身神戸育ち。近畿大学文芸学部演劇・芸能専攻卒。2006年に劇団「プラズマみかん」を皮切りし、東大阪の町工場を拠点に活動中。近年は障がいのある方と共に創る演劇ワークショップの講師、高校での特別非常勤講師やクラブコーチ、高校演劇地区大会審査員なども務める。また、「国境なき劇団」のメンバーとして、被災地で復興に当たる演劇人たちをサポートする活動も行う。「社会問題と私」を題材に、生きづらさや社会のへりで声にならない叫び声をあげるものに焦点を当て、SF(少し不思議)チックに創作するのを得意とする。現在は一児の母として育児と演劇と仕事の間で奮闘中。趣味はフィギュアスケート鑑賞と阪神タイガースの応援。ひつじが好きで、全国(世界)のひつじに会いに行くのが夢。