
2026/7/23【住職ブログ】お寺で「ケアフルな関係」を育む 地域で支える終身サポート
極めて稀な光景ではなかったか。一般の仏教者が、福祉行政や終活事業に関わる人たちの前で経験を述べる。お寺の活動に耳目が集まり、共感が生まれる。セクタ〜を超えて、公共的な役割が共振した、可能性を感じる一時であった。
24日、應典院で「地域で支える終身サポート」をテーマとした公開イベントを開催した。40名を超える参加者を迎え、行政、福祉、法律、宗教など、多様な立場から熱心な議論が交わされた。(当日の模様は写真末尾に川原さんのグラレコにある)。
近年、「終活」は大きな転換点を迎えている。これまで終活といえば、葬儀やお墓、相続などをめぐる民間サービスとして発展してきた。しかしここ数年において、国は「高齢者等終身サポート事業者ガイドライン」を策定し、社会福祉法も改正されるなど、この分野への行政の関与が急速に強まっている。終身サポートは、個人の選択や家族だけの問題ではなく、高齢社会を支える公共政策の一部として位置付けられ始めていると感じる。
そう考えると、お寺がこの領域に関わる意味も変わってくる。應典院では、地元の社協と協働しながら認知症や介護予防などの学習会を重ねてきたが、これは単なる共催事業ではなく、行政だけでは届かない、また民間事業者だけでも支えきれない「制度と暮らしの間」を、お寺という地域の拠点が埋める試みにつながってくる。
その時に問われるのが、お寺自体の公共性である。
寺院は宗教法人であり、固有の教義や信仰を持っている。その一方で、地域に開かれた公共的な存在でもある。この二つは似ているようで、実は緊張関係にある。終身サポートという誰もが関わる領域では、宗教者は特定の価値観を押し出すのではなく、多様な立場の人々が安心して相談できる場を維持できるのか。その姿勢が厳しく問われるだろう。
今回のイベントで最も印象深かったのは、その公共性が一つの風景として現れたことである。同じテーブルに行政、事業者、そして仏教者が座り、それぞれの役割や課題を率直に語り合った。誰かが誰かを指導するのではなく、それぞれの専門性を持ち寄って地域課題を考える。その光景は、これからの地域ケアの新しいモデルを示していたように思う。ケアは専門性に閉ざすのではなく、関係性に開かれていくのだ。
宗教者というと、病院でのスピリチュアルケアやグリーフサポートの場面が注目されてきた。もちろん、重要な役割なのだが、今回改めて感じたのは、宗教者が関わる場所は病床だけではないということだ。
ひとり暮らしの不安、保証人の問題、日々の見守り、死後の準備といった生活そのものの課題に寄り添うことこそ、これからのお寺が果たしうる公共的役割ではないだろうか。医療や看護の周辺ではなく、暮らしの公共圏へ。その入口に宗教者が立つ可能性が見えてきた。
そのためには、私たち自身も変わらなければならない。必要なのは、布教のための言語ではない。行政や専門職、市民と対話できる公共的な言葉であり、多様な価値観を尊重する態度であり、他職種と協働するための実践的なスキルである。宗教性を手放すことではなく、宗教性を公共空間の中でどのように表現するか。その新しい作法を身につけることが、これからの寺院に求められている、と思う。
終身サポートは、高齢社会の制度改革であると同時に、お寺の公共性を問い直す契機でもある。それは地域の中に、『ケアフルな関係』を育む営みでもある。今回の対話は、その始まりに立ち会えた一日だったように思う。







