1/10~24コモンズフェスタ2013 前谷康太郎展「samsaara(輪廻転生)」
朝昼晩、光から闇への「明滅」をみせる自然光の中で、同じくじんわりと浮かんでは消えていく、人工灯の「明滅」。ゆっくりと階段を上がっていくにつれて、視界に現れてくるブラウン管の隊列に表出するのは、空を素材とした圧倒的な青の美しさ。特定の誰かや、どこかの風景が投影されているわけではなく、ただ色の明滅とそのリズムが在る。どこまでが残像で、どこまでが創られたビデオイメージなのか。自身の視覚に集中し、私たちは無になっていく。図らずとも、この作用が瞑想のように働いて、鑑賞者はいつの間にか、自己と向き合い、他者の存在に対して鋭敏になっていくのである。
前谷さんは、明滅をモチーフにするようになったきっかけについて、「もともと言語学を勉強していたこともあって、新しい映像言語をつくれないか、という思いから明滅に注目しはじめた。言語や2進法という記号体系は、『分節性』つまり、あいだに何もない瞬間があって、それがあることで何かを表現することができるという共通点がある。」と紐解く。今回の展覧会については、「お寺で作品を展示するということで、普段生きてる限りでは体験するだけで、同時に客体化することができないリズムを一箇所に集めるというコンセプトを応用した。人の人生の長さはそれぞれであり、同時に生まれて死ぬということは決してない。その状況を具象化する試みだった。」と振り返る。
ディスプレイの配列方法については、実は非常に数学的、幾何学的な思考が背景にあった。展示スペースが完全な四角ではなかったことから、「世界を造形する主要なユニットは『三角形』である」としたバックミンスター・フラーの言葉にインスピレーションを受け、ガラス壁面側を底辺とした二等辺三角形内に、計18台のブラウン管をレイアウトしたのである。オープニングトークに登壇いただいた梅香堂主の後々田寿徳さんはこの試みについて以下のようにコメントしている。「前谷君は展示ごとに明確なテーマをもって『実験』をする。その『実験』が美術的でなく、どちらかというと理系的。しかも、もともと言語学を専攻していて、視覚芸術的な領域とは全く異なるところからきているのに、こういった映像をやっているという、組み合わせのちぐはぐさが不思議な魅力をもつ。」
秋田住職は、同じく対談の場で、「『明暗』ではなく、なぜ『明滅』なのか」という問いを投げかけながら、「『明と滅の連続性』と『生と死の関係性』について提起。「滅は永遠に滅ではなく、また明に転化する。明と滅が関係化しながら、ひとつの持続をつくりあげている様は『生と死』という問題と同じ。私たちはとかく『明』や『生』の部分に価値をおきがちではあるけれど、『滅』なるもの、『死』なるものを強烈に放ってくる作品。」と評した。
最後に、後々田さんは、仏教美術と前谷作品の近似性についてふれながら、「仏教美術は、色や形、大きさなどすべてが決められた方式のもとで作りあげられる。その意味では個人的創造の産物とは言い難い。しかし、かといって記号的に作られた画一的なもののように見えるわけではなく、それを超えた美しさや崇高性がある。他方、前谷君の作品はその逆で、記号としての意味が全くない映像。ところが、見るひとによって様々なことを考えさせる階調がある。ある意味で、伝統的な仏教美術とは全く逆なのだが、与えているものの中に非常に近いものを感じる。」と締めくくった。
お墓が見渡せる静寂な空間と静かに共鳴しながら、観る者の内面に寄り添う作品が、コモンズ2013をそっとみつめ続けた14日間となった。
文:小林瑠音
写真:前谷康太郎