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6/12 住職コラム:もうひとつのコミュニティデザイン~space×dramaの14年をふりかえる~

◆つながりをカタチにする

「コミュニティデザイン」がちょっとした流行だ。「これからのお寺のコミュニティデザイン」という研修会だってあるらしい。意味は「人のつながりの仕組みづくり」を言うらしいが、人によって、受け止め方や理解の仕方もそれぞれ。ま、堅く定義で縛ってしまうより、緩く余白があったほうが楽しいのかもしれない。

97年に應典院がスタートした頃から、コミュニティという言葉はかなり多義的な含みを持ち始めた。それまでは「家族コミュニティ」とか「地域コミュニティ」というふうに既存の共同体とほぼ同じ中身を表したが、それらが後退して、代わってそれまでにないコミュニティが登場しはじめた。NPOとかアートが市民の用語として普及しはじめる頃と軌を一にしている。市民活動や演劇や現代アートを、コミュニティの縁にしていこうという試みだ。

◆演劇祭をエンジンに社会へ

いま、應典院は「應典院舞台芸術大祭space×drama○」の真っ最中である。「若者の應典院」の花形「space×drama」も今回で一旦幕を閉じる。連日たいへんなにぎわいだ。

若手支援の演劇祭として、現在のspace×dramaの形態になったのが2003年、結成間もない(つまり才能も将来性も未知数の)劇団を公募して、毎年連続上演と協働プロデュース劇団(優秀劇団)の選出をしてきた。14年も続ければ、当時旗揚げの劇団も立派な中堅劇団に育ち、有名な戯曲賞を受賞した作家も生まれた。今回は、優秀劇団が週代わりで登場して、演目を競う。

同年に参加した同期の劇団もあれば、先輩劇団、後輩劇団という世代も生まれる。世代の違いは、自分の今の立ち位置を図る大切な参照点になるし、若い劇団には励みにも憧れにもなるだろう。新しい才能の登場は、時にベテラン勢を刺激する。

若者の劇団など、社会的には無名の同好会に過ぎない。それを演劇祭という公的なエンジンを共有して、一緒に議論したり、広報をしたり(この演劇祭参加の劇団は月1回の制作者会議参加が義務づけられている)と駆動させながら、社会という公道に乗り出して行く。独自のホームページでは、劇団どうしが互いの劇評を交換したり、演劇祭のあり方について議論を重ねている。ここで初めて他の劇団に学んだ、という若者も多い。たぶん、それがつながりをカタチにしていく、というコミュニティデザインの第一歩なのだろう。

◆誰もがコミュニティのメンバー

演劇というアートは、文学や小説と違って、一人ではできない。集団による表現とは、つまり創造プロセスそのものがコミュニケーションで成り立つということだ。劇作家がいて、演出家がいて、役者がいて、音響や照明、美術がある。そういう専門性を分担しながら、いわば「舞台」というコミュニティをつくりあげるのである。

舞台は、おおむね閉ざされた所である。異物や雑音は遮断されるが、だから社会や地域の存在とも無関係であってはいけない。若い劇団ほど孤立しがちだし、別の言い方をすれば己の才能に溺れがちでもある。それを相対化したり、客観化したり、いい意味で批判しあうような、そういう「演劇祭」もまたコミュニティなのだ。

ここで言うコミュニティデザインには、「舞台」という内に連帯する親密さと、「演劇祭」という外に開いた社会性と、その二軸が欠かせないのだと思う。

むろん、舞台も演劇祭もオーディエンスなくして成り立たない。多くは劇団と同世代の若者だが、彼らはハリウッド映画やアイドルとは別のものを探して劇場にやってくる。表現(舞台)と客席の近さは、共感や連帯や、時に異様なほどの親密感を産むのだが、それは娯楽を消費している感覚とかなり違う。その濃密な関係の集積が、應典院を若者の拠点としているといってもいいだろう。

いずれにしても単なるお客さんである前に、観客はコミュニティの一員としてここに参加する仲間でもあるのだ。

客席に、学生服の姿がちらほら見える。聞けば、高校の演劇部員には、無料観劇できる仕組みがあるらしい。演劇が、そんなふうに世代を引き合わせ、つないでいく。もうひとつのコミュニティデザインが、息吹いている。

秋田光彦

 

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秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)