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9/21 第67回寺子屋トーク「仏教と当事者研究2014 in Outenin」開催いたしました。

9月21日、第67回寺子屋トーク「仏教と当事者研究2014 in Outenin」が開催されました。北海道浦河町にある精神障害などを抱えた方々の活動拠点「べてるの家」では、「当事者研究」という実践が行われています。当事者が抱える生きづらさ、たとえば幻聴や妄想、身体の不調などを「大切な苦労」として捉え、「他者」に支えられながら、自分の弱さに「当事者」として向き合っていくその手法には、「他者」と「当事者」について深い知見を蓄積してきた仏教思想と通底するものがあるように思われます。應典院では今年2月より「仏教と当事者研究プロジェクト」を立ち上げ、読書会や「べてるの家」見学会などを行ってきました。今回の寺子屋トークは、このプロジェクトの成果発表・共有の機会、という性格を持っています。

まず午前中には、朗読「加害者家族」やワークショップ「当事者研究すごろく~降りていく生き方ゲーム」といった、「わたし」に向き合う関連企画を実施しました。本堂ホールでは加害者家族の生きづらさを自らのことのように体験し、気づきの広場では自分の弱みを開示してすごろくを作り、実際に皆でそれを遊ぶなど、各所で多様な場が生まれていました。

寺子屋トーク本編では、「べてるの家」ソーシャルワーカーの向谷地生良さんをはじめ、多くの参加者のご協力のもと、まずは当事者研究のデモンストレーションを実践していただきました。当事者研究がこれほどまでに即興的で、笑いに溢れたものであるということを、驚きとともに実感された方も多かったのではないでしょうか。
そして、向谷地生良さんと浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗さんとの対談「仏教は当事者を救えるか?当事者は仏教を救えるか?」がはじまりました。釈さんは仏教と当事者研究の近親性について語られ、「近代自我を前提としていないこと」、「身体と精神を分けて考えないこと」、「自分のことを第三者のように観察すること」など、多くの共通点があるのではないかと対話がなされました。また、「両者を照らし合わせることで、お互いが見えていない部分を再確認することもできるかもしれない」と可能性を示されました。

一方の向谷地さんは、「『人は死ぬ』ということを常に想いながら生きていく」というご自身のキリスト者としての宗教観について触れられ、ドイツの神学者パウル・ティリッヒの「愛するとは降りていく行為である」ということばから、ソーシャルワークを降りていく実践として位置づけたと語られました。「これまで様々な宗教や哲学が試みてきた『人の生きづらさをどう生きていくのか』という問いの先端に、自分は立っていると思っている」というご発言からは、当事者研究をはじめとする様々な営みが、単に精神医学的な観点のみならず宗教的な観点も含んでいることが明らかとなったでしょう。
お寺という空間で、当事者研究が内包するさまざまな潜在力が浮かびあがった、今回の寺子屋トーク。今後も皆さんの関心に寄り添って参ります。