2018/1/21 坂本涼平:「悲しみのための装置2018」レビュー
應典院寺町倶楽部との協働により、モニターレビュアー制度を導入しています。1月21日(日)に應典院本堂にて開催した、コモンズフェスタ2018企画「悲しみのための装置2018」。グリーフタイム×演劇×仏教の1日の中でおこなわれた、台本はなく会話もない、静かに声が満ちていく一度きりの約40分間。今回は、劇作家・演出家の坂本涼平さんにレビューを執筆していただきました。
薄暗がりの中、悲しみのために綴られた本当の言葉に耳をそばだてる。そして、思いは自らの悲しみへとめぐり始める。その時、私たちは、確かに「悲しみのための装置」だった。
この催しは何なのだろうと、最初は訝しんでいた。薄暗くした應典院本堂の各所に配置されたカードに記されている生の言葉。それは「グリーフタイム」と呼ばれる、喪失の悲しみと向き合う時間に制作された「グリーフカラー」というものだろう。「グリーフカラー」には、失ったものに対する気持ちを綴った言葉と、好きなように切った色紙があしらわれている。(グリーフカラーに関しては、〈いのちと出会う会第160回「喪失の悲しみに寄り添う試み『グリーフタイム』」〉のレビューにおいて簡単に紹介させていただいた。https://www.outenin.com/article/article-8946/ )それを、俳優が読む。本堂中心に向けて同心円状に配置された客席の間を縫って、配置された「グリーフカラー」をランダムに取り上げて、懐中電灯で照らし出して。演技といったものはほとんどない。俳優の声も、十分に潜められたもので、自分の席から遠くに配置された「グリーフカラー」の内容は聞き取れないほどだ。時折、ある俳優の舞踊が目に入るくらいで、自然とこちらの感覚は聴覚に特化してゆく。
これは何なのだろう。はたして演劇だろうか、それとも朗読だろうか、もっと別のインスタレーションのようなものだろうか。まずとまどいが先に来る。そのうち、ともかく、ささやくような声と息づかい、匂い、衣擦れの音、そういった原初的とも言える感覚に身をゆだねていればいいのだと判断する。そうすると、同時多発的に重なって聞こえていた「グリーフカラー」の読み上げも、聞きたいものがクローズアップされて届くようになる。
喪失の言葉、後悔、懺悔、日々の喜び、寂しさの吐露があちこちで読み上げられる。一つを読み上げる度、俳優は移動してまた別の「グリーフカラー」を読み上げる。きらっとどこかで懐中電灯が瞬く。そのたびにこちらの心も少しだけチカチカする。どうもこの場は「回路」という言葉を想起させる。観客として座っている人々は、それぞれの悲しみに向き合うがごとく、ただただ深い思考に落ち入っていくかのようだが、場はむしろ活性化する。ある種の高揚、しかしあくまでも静かな高揚は、まるで場全体で共有されるかのようだった。そして、30分ほども経った後であろうか、訪れる秋田主幹による念仏の瞬間。その高揚はきめの細かい砂糖菓子のように分解し、粒子となっていずこかへ回収されていった。その感覚を裏付けるような、本堂に日光が差し込む演出は、この一連の営みのエンドマークとしてふさわしいものだったように思う
はたして、これは何なのだろうか。先ほどまでの高揚の余韻の中で考える。演劇は人間の営為の再現ないし再構成だという考え方がある。また観客との間でいくつかの感情を醸成し、それを劇的に処理する、つまりどうしようもない袋小路に陥るまで突き詰めて昇華するものだと言う考え方もある。だとしたら、間違いなくこの催しは演劇だった。ストーリーはない、音響や照明といった効果もほぼない。しかし、間違いなく心は動き、それを劇場が一体となって共有した。いい芝居を見た。そう言って差し支えのない感動を抱いて應典院を後にした。
〇レビュアープロフィール
坂本 涼平(サカモト リョウヘイ)
劇作家・演出家。1985年大阪生まれ。芸術学修士。研究テーマは「悲劇論」。
2009年に劇団「坂本企画」を立上げ。「ほんの少し、ボタンを掛け違った人間の悲劇に寄り添う」ことをテーマに掲げ、非日常的な世界での静かなセリフのやりとりに、社会に対する寓意をしのばせる演劇を作り続ける。
ロクソドンタブラック(現Oval Theater)主催「ロクソアワード2012」スタッフワーク部門最優秀賞、演出部門三位、総合三位受賞。
2018年2月23日〜25日
應典院本堂ホールにて、記憶と人の死をテーマとした演劇を上演。
坂本企画 15 『寝室百景』
詳細は「坂本企画の舞台裏ブログ」にて。(http://blog.livedoor.jp/tottengeri/)