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2019/7/13-15 岡田 祥子:エイチエムピー・シアターカンパニー『女殺油地獄逢魔辻』(應典院寺町倶楽部協力事業)レビュー

去る7月13日~15日に、エイチエムピー・シアターカンパニー『女殺油地獄逢魔辻』(應典院寺町倶楽部協力事業)が開催されました。近松門左衛門の晩年の難解作品を、新解釈を加えた脚本と人形浄瑠璃の世界を漂わせた演出で魅了しました。今回は、読む人・観る人・書く人の岡田祥子さんにレビューをご執筆いただきました。


2019年7月13日から15日にかけ、應典院本堂において、劇団エイチエムピー・シアターカンパニーによる演劇『女殺油地獄逢魔辻』が5回上演された。筆者は13日19時からの回と15日15時30分からの回を観劇した。15日午後の回では人形遣いの桐竹勘十郎をゲストに招きアフタートークが行われた。関連イベントとして6月12日には死生観光家・陸奥賢による「まち歩きツアー—『女殺油地獄』の舞台を歩く—」も実施されている。

本公演は、題名からもわかるように江戸時代の浄瑠璃作者、近松門左衛門の『女殺油地獄』を、劇作家の西史夏が翻案・脚色し、エイチエムピー・シアターカンパニーの笠井友仁が演出したものである。西の翻案・脚色については後述するが、まず『女殺油地獄』の人物関係について簡単な説明をしておく。主人公は油屋を営む河内屋の放蕩息子、与兵衛である。与兵衛の母は先代徳兵衛亡き後番頭と再婚しておかちという娘をもうけ、夫は二代目徳兵衛を名乗っている。与兵衛に殺されるお吉は、河内屋の筋向いにある同業者の豊島屋の嫁で、子持ちの面倒見の良い主婦である。二軒の油屋は親しくしていたが、ある夜父の判を無断で使い借金をして追い詰められた与兵衛が、お吉に金の無心に訪れ、お吉はそれを断ったがために油の流れる中で惨殺されるという話である。

初回観たときまず印象的だったのが舞台美術であった。会場の應典院は浄土宗の寺院であり、法要が営まれる本堂が会場だったのであるが、笠井は大胆にも舞台背景として本来の本堂の造りをそのまま生かした。床には、小高く浮かせた通路を造り「逢魔辻」となるべく十字に組み合わせた。舞台中央には本尊の阿弥陀如来像が何に覆われることもなく鎮座していた。芝居が始まり舞台背後の壁面を映像がプロジェクション・マッピングのように躍動しつつ彩ってゆくときにも、それに見とれながら迂闊な筆者は本尊に全く気づかずにいた。最後の人物が姿を消し、物語が終わる。照明が落ち、本尊にだけ一筋の光があたる。仏さまが薄闇から静かに浮かびあがってきたとき初めて仰天したのである。「今まで観ていた物語すべては阿弥陀さまが視てござったこの世の実相なのだ。」と自然と納得されるという極上の締めくくり方となった。言葉は少し悪いかもしれないが「有りもの」をいかすセンスの良さがあった。また登場人物は全員シンプルなモノクロの洋服を着用しており、衣装や小道具にも同様の発想を感じた。装置に戻るが、通路には一見ゴムには見えない平たく太い黒いゴムが縦横に張られていた。伸縮し自在に形を変えるこのゴムが、役者の手によってさまざまに見立てられ効果的な役割を果たした。ここにも同じ在り方を感じた。

さて脚本であるが、構成は額縁構造が取られている。観客には「近松もの」に寄せる当然のそれなりの期待があるわけなのだが、それを見事に裏切り、いきなり最初の登場人物がキャップを目深にかぶりトレーナーを着込んだ現代の青年である。しかもまるでパラパラ漫画の人物のようなぎこちない動きをしつつ、挙動不審な行動を取る。続いて出てくる人物たちも同じ固い動きで歩行する集団である。声はない。「何時代?」と思いつつ無声映画のような彼らを眺めていると、間もなく「能勢の法印と比丘尼」という舞台回しが登場してくる。彼らの発語により、ようやく西版『女殺油地獄』の物語の幕は上がるのである。法印と比丘尼は時代をまたいで江戸時代と現代を行き来し得る存在である。物語の中で殺人者与兵衛が逮捕される瞬間、法印と与兵衛はすり替わり、与兵衛は時空を超えて現代へと逃亡することとなる。場面が現代に移り、再びキャップの怪しい男が現れたとき、観客は彼が与兵衛であったことを了解する。
男は法印と比丘尼にしどろもどろに問いかける。
「続きは?」「逃したままでいいんか? 捕まえないと。」「本当に続きをやらなくていいんか?」
法印たちは良いのだと答え、法印が叫ぶ。
「語るな、逃げろ。」
これを合図に舞台上では右往左往の逃亡が始まる。しかし、男だけは途方に暮れている。
「せやかて、どこに逃げたらいいねん。」
人々による歌が始まる。
「語り手も聞き手も 自分の罪を物語に託そう あなたも— ええ 世の中の人は 私たちに比べれば いや 与兵衛の罪に比べれば はるかに軽い 告げ口 悪口 裏切り 嫉妬 浮気 盗み 覗き見 二股 わずかな罪も われらがこの先何百年もかぶりましょう ええ ええ 全て かぶりますとも …中略… ご安心を しょせん人形 気になさいますな なんせ人形 次なる辻で会いましょう 次なる辻で会いましょう 次なる辻で会いましょう 次なる辻で会いましょう」
不気味な歌の続くなか、キャップの男のやりきれなさに満ちた声が響く。
「家へ帰りたいな。」
再び沈黙の緩慢な人々の歩行が始まり、ゆっくりと一人ずつ消え、物語は終息してゆく。

最後の場面が切なく印象に残ったので一部分書き出してみた。男の帰りたかった「家」とは何なのだろう。安部公房の『赤い繭』でも、男が「家」の概念すらわからなくなりつつ、それでも帰る「家」を求めて歩き続けていた。与兵衛のようなどこにも行き場のなくなった闇を抱えた人物が今も昔も遍在し、行くあてもない逃亡を続けていることを、この最後の場面で作家と演出家は表現したかったのだろうか。

ところで、劇中劇の扱いとなった西版『女殺油地獄』であるが、与兵衛の殺人の動機に新解釈が付されている。殺されたお吉は実は与兵衛の生みの母であり、与兵衛は事実を知らされてこそいないものの、自分の出自に疑いを持ち、お吉との関係については薄々感づいてすらいるという設定である。それゆえ彼のアイデンティティは揺らぎ、苛立ちは募り、生活も荒れている。生母を求める心が年上遊女への入れ込みと放蕩三昧の生活を招き、母と名乗れないお吉も周囲の大人たちも正面切ってなかなか与兵衛を叱れない。こうなると犯した罪に変わりはないものの、与兵衛はぐんと解釈しやすい人物になる。

この劇を観てから数日後京都で痛ましい事件が起きた。報道されるニュースの内容に耳を疑い、映し出される映像に目を疑った。人間の孕む闇の昏さに圧倒されしばらく言葉を無くした。『女殺油地獄』も現実の事件に材を取って書かれたものである。近松は執筆にあたって、すでに先んじて書かれ発表されていた世話狂言にはない、与兵衛の殺人に至るまでの心理過程を書きこみ、自分の浄瑠璃作品に仕上げている。言葉をなくすほどの現実に突き当たったとき、それでも人は何かを考え表現し得るのだろうか。そう思ったとき初めて近松という作家を近くに感じ、作品を改めてじっくり読みたいと思った。

 

増殖し溢れでる闇 どぶ川の饐えた臭いがこもり七月
轟かせ暴走車両過ぎゆきぬ 捌け口のない怒りのごとく

 

 

プロフィール

岡田 祥子

昭和32年大阪生まれ、大阪在住の女性です。16歳から短歌に熱中、寺山修司の「田園に死す」を愛唱する高校生でした。関西学院大学文学部日本文学科に進学、短歌部に所属しました。当時の若者文化には、前衛の波が押し寄せており、短歌界も前衛一辺倒でした。大学3回生で中古文学のゼミに入り、卒論は「蜻蛉日記-道綱母の散文精神」を書きました。卒業後、大阪市に採用され高校の国語科教員となり、退職までの38年間5校の高校に勤務しました。芝居好きの趣味と実益を兼ねての演劇部顧問歴は20年を越しました。北村想、寺山修司、別役実、チョン・ウィシン、唐十郎、等々、高校生と芝居作りを楽しんだ年月でした。何ものかに所属することから離れ、これからはのんびり、読む人、観る人、書く人になりたいと願っています。