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2020/11/7 應典院寺務局:「僧侶とケアマネジャーが語る!介護と老後。 2020終活の極意、教えます ~老いの身支度~」を開催して

去る11月7日「僧侶とケアマネージャーが語る!介護と老後。 2020終活の極意、教えます ~老いの身支度~」を開催いたしました。

ゲストに、僧侶でありながらケアマネージャーでもある酒井清旭さんをお迎えしました。老いを迎えるにあたって必要なことはなんなのか、グループワークを交えて、参加された皆様とともに考えを深めていきました。当日の様子を寺務局の沖田から報告させていただきます。

酒井清旭さんの自己紹介「僧侶として、ケアマネージャーとして」

酒井さんは、お父様を3歳で亡くされ、それからは信仰の篤いお母様と二人暮らしだったそうです。お母様の影響もあり、いつからか「お坊さんになりたい」と思うようになり、尊敬できる師匠との出会いも重なり19歳で僧侶になられました。そして21歳のときに、お母様を亡くされ、その悲嘆は長らく酒井さんの悲しみや苦しみとして残り、「30歳まで引きずりました。全く泣けなかったんです。」と仰っておられました。

また、23歳で師匠のおひとりである釈徹宗さんのお声がけで、「むつみ庵」で介護の仕事に関わる機会を得られたそうです。「むつみ庵」とは釈先生が代表をつとめておられるグループホームで、日本家屋を再活用した、古き良き日本文化の香りの残る建物を活用した場で、私も一時、スタッフとしてかかわらせて頂いたことがあります。その経験を活かし、現在は、全国各地にある介護事業所の「在宅介護やさしい手」にてケアマネージャーとして勤務されています。

ケアマネージャーという仕事でのモットーは、「提案はするけれどジャッジはしない」ということだそうです。解決できたらうれしいけれど、解決だけを目的にしなくてもよいと思い、まず利用者さんの伴走者になることを心掛けているとお話くださいました。時には、働いているなかで悩むこともあるそうですが、そのような時こそ、僧侶しての考え方を活かしているというお話もありました。

大蓮寺應典院・秋田光彦住職のお話

ここで、10分ほど秋田住職から、僧侶の役割そして死生観についてお話いただきました。一部を抜粋いたします。

高橋繁行さんの新刊『お葬式の言葉と風習 柳田國男『葬送習俗語彙集』の絵解き事典』(創元社)には、「かつての日本では、家族も亡き人と同じように白色の死装束を着て弔った」ことが書かれてあります。ここには、家族だけは死の穢れを恐れずに共に弔うという意味が込められていたのでないかと考えます。また、当時は葬儀社がなく、死体の処理もすべて僧侶が行いました。葬儀の場面では、いわば僧侶だけが専門職であったと言えます。そのことからも、僧侶に対して一定の尊敬や畏怖が向けられていたのではないでしょうか。

浄土真宗の親鸞上人は、初めて妻帯し肉食をした僧侶ですが、自身のことを「非僧非俗」と言われました。僧侶ではないと仰いながらも、確固たる信仰心をもち、お念仏に生きた方であり、単なる俗人ではありませんでした。一筋縄ではいかないかもしれませんが、親鸞上人のように、二つの顔が共存し、時に調節機能を果たすような、絶妙なバランスのとり方に、生き方のなにかヒントがあるのではないかと考えます。

今日は「ケア」というフィールドで、なにを大事にすべきかを考えてみたいのですが、キーワードは「死生観」ではないかと思っています。酒井さんは、僧侶という顔と、介護に携わる顔の両方を持っておられる方。今日は、実体験をお聞きしながら、またみなさんとのお話のなかで深めていきたいです。

グループワーク

会場のみなさんに4~5人ずつで分かれていただきました。そして、介護が必要になる事態(認知症/骨折/脳梗塞で半身不随/火事で家を失うなど)が書かれた用紙と、どのような臨終を迎えるか(100歳で大往生/意識不明/急死など)が書かれた用紙を配り、もし自分がそのような事態になったとき、どのような助けが欲しいのか、また何が必要なのかをグループで語り合っていただきました。短い時間でしたが、それぞれのグループで「関心・寛容・感謝の3Kをモットーにしている」「体をさすってもらいながら看取られたい」「家族に希望をきちんと伝えておきたい」など会話の弾む様子を見ることができました。

その後の休憩時間に、グループで出たお話をいくつかをホワイトボードに書き出しました。

まとめの時間

グループワークで参加者のみなさんからあがった声を紹介し、酒井さんそして秋田住職からコメントをいただきました。一部を抜粋いたします。

酒井さん 「日頃から接している患者さんで、ずいぶん病気の進んでいる方がおられますが、ご家族もともに明るいのです。なぜかというと、社会的につながりを持っておられるところにヒントがあるように思いました。これに困ったら〇〇さんで、これは〇〇さん、といった感じに、脇を専門の方が固めている感じ。だから安心して過ごせるのではないでしょうか。」

秋田住職 「医療や看護介護では、『治る・治らない』『解決する・できない』で考えざるを得ないところがあると思います。しかし、僧侶は『なるようにしかならない』と、ある意味『棚上げ』することができます。それは、僧侶がもっている時間軸が違うということかもしれない。だからこそ、目の前の問題をいい意味で『ずらす』ことができるのではないでしょうか。また、ケアマネージャーの仕事は横のつながりを作ること、僧侶は100年、200年と連綿につながる「いのち」を相手に縦のつながりを持つ。そう思うと、酒井さんはどちらの軸も持っているのですよね。自分で困惑したりはしないですか?(笑)」

酒井さん 「します(笑)。確かにジレンマを感じることはあります。ただ逆に救いにもなります。問題解決に走りすぎている自分に、僧侶の自分が諫めたり。利用者さんのどこに道が開けているかは全く未知数なんです。現場では『とにかく動け』という共通認識みたいなものがあるのですが、そうやってみんなで動き回っていると、不思議とうまく行き出すことがあります。そういう時には、時間が長く感じるのです。みんなの力を結集すると、もしかしたら仏様の存在に近づくことができるのかもしれません。今日のお話を聞きながら、初めて思ったことでした。貴重な機会を本当にありがとうございました。」

 

2時間という限られた時間ではありましたが、酒井さんの語りやお人柄から、ケア者としてまた宗教者としての力を感じることができました。秋田住職からの問いかけ、さらに参加された皆様からのお声も聞かせていただくことができ、自分自身の老いや家族の介護について考えるうえで必要な観点を考える時間になりました。

 

人物(五十音順)

酒井清旭
(浄土真宗本願寺派僧侶)
秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)