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【開催報告】沖田都光:「尼さんに聴く 第3回 ゲスト:唐渓悦子さん」を開催しました。

去る2023年2月21日に「尼さんに聴く」第3回を開催しました。ゲストに、浄土真宗本願寺派僧侶の唐渓悦子さんにお越しいただきました。当日の様子を、この企画の担当である應典院職員・沖田都光より報告いたします。

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風も冷たく肌寒く、年度も終わりに差し掛かろうとする忙しい時期にも関わらずお越しいただきました。お若い唐渓さんのこれまでの歩みをご紹介いただくなかで、田舎と都会の違い、地域における閉鎖的な面と寄り添い合う姿、お寺の継承やジェンダーの課題、本山との関係など、さまざまな意見や感想が飛び交い、白熱した回となりました。すべてを書ききることはできませんが、記録として残します。
流れとしては、唐渓さんの過去・現在・未来を、昔の写真を拝見しながら、沖田が聴き手となってインタビュー形式で進めていきました。

島根県の緑豊かな寺院に、ひとり娘として生まれた唐渓さん。小さな頃から自然に”遊んでもらっていた”という唐渓さんは、森や土や虫、生き物たちとごく普通に近しく、それはいまもずっと自分の根底にあると言われ、お話の冒頭から「自然」がキーワードであるのだということが感じられました。当時は、お祖父様が住職を務められ、お父様とお母様もお寺の仕事以外の仕事をしながらお寺を守っておられました。

小学生のころに、虫を平気で触り愛でる姿を友だちから驚かれたのをきっかけに、思春期にはその姿は奥に隠され、周囲と同じような女の子のひとりとしてふるまっておられたそうです。そうすることが自然なことだと思っていました。しかし、目指す大学を選んでいるときに目に留まったのは「鳥取環境大学」。オープンキャンパスで出会った動物行動学の教授に一目惚れして入学を決められ、「鳥の卵の模様」を研究されたそうです。まちの祭りにも頻繁に参加されていました。
高校生のうちに得度をされ、ぼんやりと「いずれはお寺に戻るのかな」と思ってはいたものの、就職を考える際には、自分の見地を広げたいという想いからまず葬儀社へ就職、色々な宗派のお葬式を見ていかれ、その後は印刷会社にも就職されたことがあるそうです。
それからご縁があって関西に来られ、現在は「株式会社ここにある」というまちづくり関係の会社に所属されています。日本各地において生き方をテーマにトークや交流会を実施している「生き博(生き方見本市)」を、寺院で開催する運営に参加したり、「尼僧酒場」でもやもやしたお悩みを聴く場づくりをしたりと、僧侶としての歩みも展開されています。若者の交流・出逢いを広げる講座やファシリテーターとしても活動の幅を広げておられます。

都市部におけるさまざまな仕事と、島根のご実家のお寺のため2拠点を往復するという生活をされておられますが、ずっと都会のアスファルトと建物に囲まれた生活を続けていると、どこか逃げ出したくなるような衝動に駆られる時があるそうで、仲間を連れて森へ遊びに出かけたり、その経験自体をイベントとして開くときもあるそうです。やはり唐渓さんのなかには、土や木々の香りが息づいていることを感じさせられました。

いまはご結婚をされ、夫婦で話し合った結果、唐渓さんの苗字を残すことになり、いずれは島根のお寺をひとり娘である唐渓さんが継いでいかれるとお考えです。お母様がお檀家さんから「男の子を産むまでがんばるんでしょ」と言われ、陰で涙していた姿を覚えておられる唐渓さん。自分が男の子じゃなかったからいけないんだと思っておられ、だからずっと男の子みたいに強くなりたかったと言われていました。ジェンダーバランス、継承の形については考え深いものであると改めて思わされました。多様な生き方が求められ、また実現可能になってきているなかで、お寺の形もまた、それぞれのやり方があっていいのではないかと感じます。事実、いま尼僧さんによるお寺の運営は増えてきているのです。

島根の過疎地に生まれ育ち、またそこで根を張っていかれる唐渓さんにとって、鳥の卵の柄がすべて違うように、またどんな小さな卵であってもしっかり生まれ育っていくように、人もまた勝ち負けに拘らず、自分のありのままに存在できるという安心に向かって生きていきたいという想いが伝わってきました。

会場からは、「自分も田舎の生まれだけど、まわりは悪意で言っているわけではなく、ごく普通に心配の声として伝えていることもある。のんびりしている風にみえて、村八分じゃないけど、いろいろと気をつかうものなのよ・・」という声や、「日本にこれだけの数のお寺があって、過疎地もそうだが困っているお寺はたくさんあるのに、本山はなにもしない」という厳しい声もありました。「根本的になぜ男性しか継げないのか、お釈迦様はそうはいっていないはずだが」などという疑問もありました。またお寺には、それぞれ「●●山」(大蓮寺であれば如意珠應山)という呼名があるが、そこにはやはり自然とお寺は切り離すことのできない共有地としての役割を見い出すことができるのかもしれないという声もありました。

短い時間ではありましたが、とても貴重な機会となりました。これからの唐渓さんの歩み、ご活躍を念じております。

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次回は4月18日には「尼さんに聴く 第4回ゲスト:笹子真由子さん」を開催します。ぜひお越しくださいませ。