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【開催報告】霍野 廣由(浄土真宗本願寺派覚円寺副住職)/あそびが、境界線を溶かしていく。

去る11月30日に、あそびの精舎プロジェクトのお披露目をかねて「ダイアログセッション」を開催しました。
出席者の方たちの中から、教育者(美術)、経済団体職員、まちづくりNPO代表者、僧侶の4名の方から、その感想等をご寄稿いただいています。

第3回目は霍野 廣由さんのご寄稿文です。霍野さんは、浄土真宗本願寺派僧侶で、NPO法人京都自死・自殺相談センター副代表、また若手僧侶が仏教の教えにもとづく様々な活動を産み出していくことを目指し、友人らとワカゾーを立ち上げ、死をカジュアルに話すDeathカフェなどを開催しておられます。

第1回目、2回目はこちらからお読みいただけます→
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【開催報告】永長千晴(大阪商工会議所)/「いのち輝く」万博と、あそびの精舎

若者よ夢を語れ

私が初めて應典院を訪れたのは、もうかれこれ15年前のこと。2009年、應典院で開催された「ボーズ・ビー・アンビシャス」がそのきっかけだった。

「ボーズ・ビー・アンビシャス」とは、札幌農学校に赴任されたクラーク博士の言葉「ボーイズ・ビー・アンビシャス」をもじって、「坊主よ、大志を抱け」という願いが込められた僧侶たちの集いだ。仕掛け人は「がんばれ仏教!お寺ルネサンスの時代」の著者であり、東京工業大学副学長でもある上田紀行先生。それまで東京での開催が続いていたが、このとき関西初開催であり会場が應典院だった。

当時大学4回生だった私はどんな議論が繰り広げられるのか想像もつかぬ緊張と、上述の「がんばれ仏教!お寺ルネサンスの時代」で紹介されていた應典院に初めて足を踏み入れる高揚感に胸が高鳴った。

会場には20名ほどの僧侶が集まり、まず秋田住職から應典院設立の想いや取り組みについての話題提供があった。初対面の秋田住職の一言一句に私は興奮と感動を覚えた。その後少人数のグループに分かれお寺の未来を語らうディスカッションが始まる。

私がお寺を取り巻く環境の変化や課題について語っている最中、後ろから秋田住職に肩をポンポンと叩かれ「若者よ、夢を語れ」と声をかけられた。

そのときは、喋っている内容が間違っているわけではないのに何故そんなことを言われるのだろうという疑問や、皆の前で指摘された恥ずかしさ、憧れの住職に声をかけてもらった嬉しさが入り混じった複雑な感情だった。

今となっては、「君は僧侶としてどう生きていきたいのか。君が描く理想のお寺の姿は?」と生涯にわたり向き合い続ける問いを投げかけてもらえたと有難く感じている。

徹底的にあそぶ

あれから15年が経った。應典院「遊びの精舎」のキックオフミーティングに参加し、今なお仏教界の最前線に立ち、お寺の可能性に果敢に挑戦し続け、誰よりも夢を語っているのが秋田住職であることを思い知らされた。

應典院の次なるコンセプトは「あそび」だ。

秋田住職から「あそびの精舎」のコンセプトに至るまでの背景や、遊びに込めた願い、そしてこれからの應典院について語られた。その中で「あそびこむ」という言葉が何度も出てきたのが印象的だった。私はそれを「徹底的にあそぶこと」と解釈する。

熱中して遊ぶことで生じる作用は様々に語ることができるが、私が特に魅力を感じるのは「境界線をとかす」ことだ。

私には6歳と3歳の娘がいる。先日、子どもの友達家族たちと公園に出かけ、大人も混じって尻尾取りをして遊ぶことになった。上は小学生4年生、下は3歳になる7人の子どもたちと、3人のお父さん。子どもも大人もキャッキャしながら楽しんでいたものの、子どもたちから「弱いな」「こっちだよー」とヤジが飛ばされ、徐々に目の色が変わってきたのがお父さんたち。気がつけば最後はお父さん3人の戦いになっていた。

あそびに巻き込まれ、夢中になる中で、子どもと大人の境界線がとけていく。遊びは提供する側と享受する側という境界線がなくなり「一緒に遊ぶ」というふるまいが起こりやすいのだ。

あらゆる二項対立を越えるか

仏教には、遊戯(ユゲ)という言説がある。仏や菩薩が衆生を教化・救済するさまを表した語であり、仏や菩薩は遊ぶように衆生を救っていくと教示される。仏や菩薩は衆生を救いながらも救っているというとらわれがない。その境地に至れば、救う側・救われる側の区別がなくなり、境界線がとけるという。

しかし社会において、何をするにおいても提供する側・される側という区別を超えることは容易ではない。その関係性があることによって様々な職種が成立している。一方、お寺は非社会性を許容できる場であり、社会の価値観や常識を揺り動かす、震わす場所でもある。

應典院は、あそびを基軸にすることで、この世とあの世、敵味方、善悪といった二項対立として想起される文脈でさえも、その境界線を超えていくことができるのかもしれないと期待が膨らむ。社会の常識やあるべき論を手放すことができるお寺だからこそ、閉塞的な関係性や境界線が自然と曖昧になるように思う。

イベントを終え、秋田住職に御礼を言うと「あそびの精舎」はお寺の可能性を模索するプロトタイプだと教えてくれた。應典院での試行錯誤はオープンソースにして全国のお寺に拡張させていきたい、と。その話を聞きながら應典院は地域のコモンズであると同時に、全国の僧侶やお寺に関わる人たちのコモンズなんだと気づかされた。

別れ際、秋田住職に肩をポンポンと叩かれ「若者よ、一緒に夢を語ろう」と少年のような茶目っ気のある笑顔で声をかけてもらった。全国各地のあそび心溢れる僧侶たちと共に、シン應典院で夢を語りあえる日を心待ちにしている。