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サリュ 第71号2011年1・2月号

目次

巻頭言
レポート「第100回いのちと出会う会」
コラム 関嘉寛さん(関西学院大学社会学部准教授)
インタビュー 高島奈々さん(七色夢想)
編集後記

巻頭言

「自己」は他者との関係の上でしか成り立たない。だから他者関係が貧しくなると「自己」も窮乏化する。

南 直哉
「なぜこんなに生きにくいのか」

Report「絆」
「いのちと出会う会」100回、医師と僧侶と遺族が暮らしを語る。

つながりの再生を求めて

2010年11月23日、世は勤労感謝の日でしたが、應典院では「いのちと出会う会」の第100回「地域でつなぐ、いのちの絆」が開催されました。通常は第3木曜日に研修室Bでの開催ですが、場所を本堂ホールに移し、過去の話題提供者の皆さんも交え、記念の機会を共に楽しみました。歴史を紐解けば、「いのちと出会う会」は2000年の6月15日、「呼吸するお寺」を銘打つ應典院にて、いつか来る人生の店じまいを見据え、じっくり仲間と語り合う場として産声をあげました。以降、生きること、老いること、病すること、そして死について、他者の語りを聴き、互いに自らの思いを語り合う場が10年続いてきました。

この10年で、地域の絆はますます希薄になったと言われるようになりました。事実、多くの〈いのち〉が孤独死やイジメ、無差別殺人、虐待、家庭内殺人などによって理不尽な最期をとげています。そこで、いかに人々の縁をつなぎ合わせ、再生できるかが問われています。つまり、思いやりのある地域の暮らしをいかにして取り戻していくかが緊急の課題なのです。

そこで100回目を迎える「いのちと出会う会」は、尼崎で在宅医療の普及に取り組む長尾和宏先生、多くの死者を見つめて供養してきた秋田光彦大蓮寺住職、そして、そもそも「いのちと出会う会」の開催を秋田住職に投げかけて以来、継続して代表世話人を担ってきた石黒大圓さんが、「いのちの場」について語り合う場といたしました。

皆に立ちはだかる「死の壁」

「いのちと出会う会」は、代表世話人を務める石黒大圓さんの個人的な体験が礎となっています。石黒さんは平成元年に息子さんを、その8年後にお連れ合いを病で亡くされました。死別の悲嘆に向き合いつつ、家族喪失の実感が日に日に増していったそうです。改めて「二人の人生は何だったのか」を考えたい、そうして各種の講座に参加する中、枚方で「在宅ホスピスあおぞら」を主宰する南吉一先生と、「大阪生と死を考える会」の会長を務めてこられた谷荘吉先生に出会われた石黒さん。息子さんがパドマ幼稚園に通われていたというご縁で、秋田光彦住職に「生と死を語る会を應典院で」と相談を持ちかけ、住職の命名により「いのちと出会う会」が誕生しました。

100回記念特別編は、口笛演奏家・もくまさあきさんによる祝演により開会。身体を楽器として、愛燦々、川の流れのように、エーデルワイス、ゴッドファーザーのテーマなどが次々に奏でられ、本堂ホールはさわやかな響きに包まれました。

続く長尾先生の講演では、「死の壁」の存在について紹介がなされました。それは、看取りの場面に立ち会う家族が最も実感することだと、長尾先生は仰います。一方で、病院での医療は終末期においても治療行為を続け、しかも遺族からの訴訟などを恐れるために「ディフェンス・メディスン」(守りの医療)を与え続けていると指摘されました。この点に対し後半のディスカッションで、秋田住職は「自我の欲求として自らの死のことだけではなく、近親者はもとより、縁のある皆さんの死に方や生き方に関心をもっていかなければならない」とことばを重ねました。あわせて、石黒さんも「他人の死を見つめるからこそ、自分がどう生きていくかに深い関心と誠実さを抱くこととなる」と、ご自身の経験から述べられました。

終了後の交流会でも活発な意見交換がなされました。その風景からは、副題に掲げた「いきいきと生きて、安心して最期を迎える地域とは」という正解のない問いに、誠実に向き合っていこうとする人々の出会いの場になっていたと確信しています。

小レポート

無縁社会と言われた年に

「利他」を考えるシンポを 12月5日、寺子屋トーク第60回特別編「利他の取扱説明書」を開催いたしました。当日は二部構成でした。第1部では稲場圭信・大阪大学准教授と、早瀬昇・大阪ボランティア協会常務理事の対談が行われました。「社会学の観点では利他には自己犠牲が伴うとされるが、宗教社会学の視点から迫ると違和感がある」とする稲場先生に「ほっとかれへんという思いから始まるボランティアも、責任感を伴わないと活動の成熟は導かれない」と早瀬さん。そうして、利他は利己の単純な対義語ではない、といった対話が重ねられました。

第2部は、ビハーラ21の大河内大博さん、支縁のまちサンガ大阪の川浪剛さん、京都自死・自殺相談センターの竹本了悟さんの3名の討論が行われました。それぞれ浄土宗、真宗大谷派、浄土真宗本願寺派の僧侶として、スピリチュアルケア、貧困問題、自殺対策と、各々のテーマに基づいて利他的行為を行う実践家です。コメンテーターの渡邉大さん(大阪大学)からも「他者の痛み」という点を切り口に、刺激的なコメントをいただきました。

小レポート

ゆるやかな演劇つながりがより豊かに

11月11日、野江にあるアトリエS-paceにて、第2回むりやり堺筋線演劇祭の後夜祭が開催されました。昨年、「関西の演劇力の更なるひろがりを」と、劇場間連携で始まった演劇祭。2010年は5月から10月末に、テント公演を含め11劇場・62劇団・のべ73公演の参加でした。

冒頭、呼びかけ人の福本年雄さん(ウィングフィールド代表)から、国立文楽劇場や山本能楽堂の参加で伝統文化の分野にも公演の幅が広がったことや感謝のことばが述べられました。そして、18劇団から60名程の演劇人と4名ほどの一般の鑑賞者とが、交流と意見交換。そして、スタンプが溜まったカードをお持ちの方の為に、2011年1月のくじら企画『山の声』、2月のドーンセンター『女性芸術劇場』、3月にはDIVE×メイシアター合同プロデュース公演『オダサク、わが友』が、むりやり堺筋線演劇祭の期間終了後の「飛び石招待公演」として展開されることや、2011年に3回目の開催も予定と発表。應典院も参加する、この新しい演劇ムーブメントに興味・関心をお寄せいただけることを願っています。

小レポート

園長と住職のモードが交替する七五三

秋晴れの11月14日、應典院の本寺・大蓮寺による「パドマ幼稚園」の園児らを対象とした恒例の七五三法要が本堂ホールにて開催。晴れ着に身を包み誇らしそうな面持ちの20名のこどもたちと、健やかな成長を願うご両親、ご家族で賑わいました。

同園の園長も兼ねる秋田光彦住職の「昔は3才・7才まで生きられなかった子も多かったと言います。みなさんの隣にいるお父さんお母さんはいつもあなた方を思っていますよ」そうした法話に親子並んで耳を傾け、本堂ホールは厳粛な雰囲気に包まれます。仏様からの祝福としてお念珠が授けられ、ご本尊にお花を捧げて法要は終了。帰り道、こぼれる笑顔でほっとしたようにご家族を見上げるこどもたちの顔は、大役を終え、少し大人びたように見えました。

コラム「脱」

参加と離脱の自由木曜寺子屋サロン「circolo」に見る公共性

今年、4月から毎月第4木曜日夕方から「まちづくり」を共通テーマにしたオープンゼミナールのホストをさせていただいている。きっかけは、私の私的な利害からの思いつきだった。ゼミ生をだしに、まちづくりについての自分の関心を充たしたいと考えたのであった。

このオープンゼミナールでは、ほぼ毎回ゲストスピーカーを招き、その人の関心をもとに、参加者が議論をするという形態をとっている。この中で、まちづくりの多様な状況を「私」が理解するというのが私の中での目的であった。今までのゼミナールで私の目的は見事に達成された。まちづくりについて気づかなかったこと知ったり、自分の考え方がそれほど違っていなかったということを確信したりしている。

しかし、こんな私が「私的」な関心事でホストしているオープンゼミナールにほとんど関心を持つ人はいないのではないかと思ってもいた。しかし、ふたを開けてみると、予想はよい意味で裏切られた。

いままでの参加者は、地域の人々や宗教関係者、企業でCSRを担当している人、ゲストスピーカーとゆかりのある人、大学院生、多くはないが私のゼミ生などである。したがって、参加者の関心もばらばらであった。

私的関心からできあがった場に、多くの人がそれぞれの関心で集まる。これはこれからの力をもっていくかもしれない公共性のあり方なのではないか考えている。

私は拙書(『ボランティアからひろがる公共空間』梓出版社)で震災以後のボランティアが新しい公共性のあり方を生み出し得ると示した。新しい公共性とは、自分の利害にもとづきながらも他者の利害と対立せず、両立させながら、自分の利害を拡張あるいは変化させる空間である。

私は、このような新しい公共性にとって重要なのは、「場」であると考える。なぜならば、この新しい公共性は参加と離脱の自由に貫かれている場が必要だからだ。場とは、物理的な空間と同時にそれに参入する人の考え方を表し、逆に形づくる。そういう意味で、チルコロのオープンゼミナールの試みは実験的といえるし、その場を支える役割は非常に大きい。阪神・淡路大震災発生時は、修士論文の提出日であった。2004年に起きた新潟県中越地震の被災地である新潟県小千谷市塩谷集落では、復興と住民参加の問題について考えている。最近は科学的知識がどのように一般の人たちに伝わっているのかを一般の人たちの立場から明らかにすることにも関心を持っている。

関 嘉寛 (関西学院大学社会学部准教授)
1968年生まれ。関西学院大学社会学部教員。大阪大学大学院人間科学研究科、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター助教を経て、2009年より現職。博士(人間科学)。専門は、社会学(ボランティア論・現代社会論・災害復興論)。

Interview「術」
高島 奈々さん (七色夢想)

同じ日はないように、毎日はずっと新しい未来。だから、自らに明日の選択を求められている。そんな<いのち>のリレーを應典院での作品に表したい。

姉の影響もあって中学・高校と演劇部だったのですが、同時に少林寺もしていたので大学では少林寺部に入りました。でも、好きなお芝居もしたいなぁと思っていたんです。そこで大阪にはたくさん劇団があるのですが、地元の堺にも劇団がないかと情報を探していました。そして大学2回生のとき、地域情報誌で劇団員募集を見つけたので、その劇団に入ることにしました。

堺の劇団では役者だけしていたんですが、別の劇団の公演に出たとき、「突劇金魚」のサリngROCKさんに出会い、「私、美術をやっている」と言ったことがきっかけで、舞台美術もするようになりました。実は美術と言っても「絵」の方だったんですけどね。

初めて應典院で舞台美術を担った時は、本堂ホールの高さ、また円形というかたちに悩みました。ただ、ご縁があって應典院での製作機会が年々増えていくことで、いろんな気づきが出てきましたね。例えば、space×drama 2009にて優秀劇団に選出されたbaghdad caféさんの第8回公演「ワタシ末試験」。これは大阪市芸術創造館の「大阪セレクション」での再演分も含めて舞台美術を作ったんですが、同じ舞台セットを違う劇場で使ってみたところ、それぞれの劇場が持つ良さがわかるようになってきたんです。

私が思う應典院の特徴は、客席との距離が近いし、高さもあるので、他の劇場と違って「包み込まれている」と言う感じと、「覆い被さる」迫力があることです。なので、今はそれらをどこまで活かせるか、考えるようになりましたね。また、應典院の広さを逆に利用して、わざと小さな舞台を組んで狭さとか窮屈感も表現出来るなと思っています。

この間、役者から舞台美術の世界へと広がってきた私ですが、この12月に初めて個展をさせていただくことになりました。そして1月にコモンズフェスタに空間構成で参加することも新たな挑戦なんです。舞台美術の要素は利用してるんですけど、舞台美術ではないわけですし…。まあ、舞台美術に挑む際にも「絵」の要素を利用してきていますから、自分の中で継続したテーマなどを貫いていく、よい機会を与えていただいているなと感じています。

コモンズフェスタでは「悲しみ」や「グリーフ」を扱って欲しいと依頼を受けたので、自分なりに「近親者の死による悲しみを乗り越えるには」という観点で迫ることにしました。亡くなった人を思っても、泣いてても、絶対に帰ってくることはない。それが当たり前とはいえ、理屈と感情は違いますよね。ただ単に前向きになろうと言っても無理なこともありますし、時間はどんどん流れ、そもそも自分自身も確実に死に向かっていますし…。

私は先に逝ってしまった人に対する悲しみを乗り越えることが、過去ではなく、これから1秒先の未来の営みを自分自身が紡いでいっていると自覚することでは?と考えました。これから新しい何かを生み出すこと、それは人との関係であったり、作品を作ることでも、何でもいいのでしょう。

日常の生活はただ時間が流れているのではなく、自分が明日を選択しています。そして、人は生まれて、必ず死ぬわけです。先人のバトンを受け取りつつも、いずれは自分という存在も死に行く。こうして誰もが止まることなく死に向かっていることを作品に表したいと考えました。

今回は本堂ではなくロビーに作品を展示します。一つひとつの作品が順番に置かれて、2階のロビーに繋がっているので、全体を通して体感していただきたいですね。

編集後記〈アトセツ〉

年の瀬に「やっぱり、流行語大賞のベストテンに『無縁社会』が…」という表現を、原稿や講演でよく用いた。文字通り「縁が無い」ことが問題にされた2010年だった。人とのつながりが希薄になり、多くの事件が世間を騒がす。その一方で、コンピュータの世界ではSNSをはじめとして〈つながり〉に疲れた人も出てきたという。

「縁切り寺」ということばがある。その成立は江戸時代だ。夫婦関係を断ちたい女性が尼僧として修行することで離婚を成立させる、まさに「駆け込み寺」としての役割だった。そうして寺は世間の習俗や社会の制度とは「無縁」な聖地であったのだ。

歴史学者の網野善彦さんは『無縁・苦界・楽座』(平凡社)で、加賀での一向一揆の影響が広がりを見せた頃、寺が「公界所」とされ、寺外の対立や、戦乱と「無縁」な「平和領域」となっていたことに注目している。どうも現代は「縁」の善し悪しが話題に上る。が、そもそも「因縁生起」という語があるように、私が「いる」限り、何らかの出来事が「ある」。われわれの自覚の有無や認識の度合いにかかわらず、多くのつながりの中で生きているのだ。

「つながりたくない」という思いの一方で「つながっていたい」と願う。どこかに矛盾がありそうだが、実は「つながり」が「ないとは言えない」という前提の中で、思いや願いがあるとは言えないか。年明け早々にはコモンズフェスタが始まる。実は、共通テーマ「onとoffのスイッチ」は、「縁」の概念の問い直しでもある。(編)

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