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2018/10/12-14 陸奥賢:ステージタイガー『アフターバーン!!』 レビュー

去る10月12日から14日に、ステージタイガー『アフターバーン!!』(應典院舞台芸術祭Space×Drama×Next2018参加作品)が上演されました。マラソン一筋の主人公と彼を取り巻く人たちの想いがごく自然に、かつ力強く描かれた、秀逸の作品。今回は、観光家・コモンズデザイナー・應典院寺町倶楽部執行部の陸奥賢さんにレビューを執筆していただきました。


ステージタイガーさんの新作『アフターバーン』を観劇しました。ステージタイガーさんの印象は「筋肉」なんですが、予想を裏切らない「筋肉」な演劇公演でした。みんな走る走る、動く動く。叫ぶ叫ぶ。

ストーリー自体は単純明快です。昔は名門だったが、いまは万年最下位の、とある実業団陸上部が、かつての伝説のランナーを、40代にもかかわらずに現役復帰させて、ライバルの陸上部と駅伝で戦う・・・というもの。老いたスポーツマンが、若いスポーツマンに命がけで挑んでいく。映画『ロッキー』シリーズでいうと、6作目(ラスト作品)の『ロッキー・ザ・ファイナル』のような設定です。

また「駅伝」という設定がいいですな。日本人は正月になると、テレビで駅伝をみますが、じつは世界的には駅伝という陸上スポーツはないそうで。これ、日本独特の文化です。「襷(たすき)を繋いでいく」というのが、横並び意識の強い日本人の感性にあうんでしょう。ひとりだけ突出していてもダメで、一番手、二番手、三番手、四番手、ラストのランナーと、それぞれのランナーに役割のようなものがあります。全体のバランスを考えて、自分の役割をちゃんと果たさないと勝てない。「ひとり」ではなくて、「みんな」で戦って、勝利する。いやがうえにも盛り上がる構造です。

伝説のランナーは走ることしか考えていない陸上バカ(愛をこめていっています)で、質問などにもまともに答えません。忠告や警告も、まるで聞こえていないかのように、ひとりで考え、ひとりで行動していく。頑固一徹な部分が目立ちます。なにを考えているのか、よくわからない。しかし、伝説のランナーを取材する週刊誌の記者がいて、この記者が随所で関係者にインタビューをし、それにいろんな関係者が答えていくことで、伝説のランナーの人生や哲学が浮かび上がってくる…という構造も、脚本の妙としてあげておきたいところです。

あと、個人的な趣味、嗜好の話なんですが、ぼくは、じつは「走る演出」は苦手です。「ランニングマイム」というのですが、その場で、いかにも入っているかのように見せるパントマイム(演出)が、小演劇で、たまにあります。これが、どうも、滑稽に見えてしまう。中には、その場で走りながら「うそだー!」とか「なんでだー!」とか「まにあってくれー!」とか叫んでいたりするんですが、冷静にみると、一歩も先に進んでないわけで、どうも、ねぇ。なんだか、こっぱずかしい。

これは、しかし、どんな演劇にも、その世界特有の演出や約束事のようなものがありますから。例えばタカラヅカなんかは最後、トップスターたちがレビューのさいに「背負い羽」を背負って大階段を下りてきます。はじめてみたときは、「なんやこれ!クジャクやがな!」と大爆笑しましたが、一緒に観に行った女性に睨まれて、帰りの電車では「ナイアガラとかいう背負い羽は何十キロもあって、それを背負って降りてくることがスターの証、スターの重みなんよ!」みたいなことを説教されました。怖かった。

独自のエトスがある。型がある。約束事がある。こういうのが、何も知らない一般人からすると、演劇のとっつきにくい部分だったりしますが、逆に、こういうのにハマルと、他にない魅力になったりもします。

今回の『アフターバーン』は、そのぼくの苦手なランニングマイムだらけなんですが、しかし、まったく、そういう苦手な感じをうけなかった。なんでやろうか?と考えたら、それもそのはずで、陸上部がテーマなので、「走る演出」が「必然」なんですな。

「そうか。いままで小演劇のランニングマイムをこっぱずかしいと思っていたが、あれ、そういう演出はいらないのに、必然ではないのに、走り出したりしているからや!」ということに気づかされたりもしました。以上は蛇足の感想です。

 

●今後の予定

第71回寺子屋トーク「應典院ゆかりの場のデザインを考える~哲学カフェとまわしよみ新聞~」<應典院寺町倶楽部主催事業>

日程:11月6日(火)18時30分開始
参加費: 一般:1,200円 應典院寺町倶楽部会員:700円
詳細はこちら→ https://www.outenin.com/article/article-12260/

 

 

人物(五十音順)

陸奥賢
(観光家/コモンズ・デザイナー)