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2019/1/20 横林大々:『應典院モニターレビュアー公開座談会2019』(コモンズフェスタ2019)レビュー

去る1月20日に、『應典院モニターレビュアー公開座談会2019』(コモンズフェスタ2019)が開催されました。2017年7月より導入された應典院モニターレビュアーの皆さんが、互いの体験を語り合い、共有する時間。その様子を見ることによって、應典院という場がどのような場所であるか浮かび上がってくるという試みでした。作家・『即興小説バトル』主宰の横林大々さんにレビューを執筆していただきました。


本日はモニターレビュアー座談会についてレビューをしたいと思うのだが、私の結論は「親しい人の死を通し、改めてこのモニターレビューに参加していてよかったと感じている。」である。

人は考える生き物だ。あらゆる物事に対し知恵を働きかけ、これまでの経験と照らし合わせながら、物事に意味を持たせ、自分なりの定義づけを行う。そのような思考を無尽蔵に繰り返しながら、人は呼吸し、生活をしていくのだろう。
しかし、無限に繰り返されるこの思考のスパイラルへ名前をつけて保存するような時間はない。ふとした生活のはずみの中でその気泡が浮かび上がることはあっても、それらが「どのような大きさ」で「どのような浮かび上がり方をしたのか」などと鮮明に記録することなど夕飯の行方や、気になる相手の仕草一つで忘却してしまうのだ。
そういった意味で應典院の「レビュー」という存在は、一瞬の思考から生じた機微に名前をつけて保存し、更にはホームページという目に見えるクラウドで共有するものなので、十分に意義があると私は思う。

應典院は、劇場としても関西小劇場界隈では名の知れた場所である。かつて私も脚本で参加した公演ではお世話になった。だが、應典院は寺、寺院なのだ。敷地の中には黒門市場の近くにあるとは思えないほどの広い敷地があり、中には何段も有する墓地が存在している。演劇という側面は、應典院で開かれる催しの一部でしかなく、應典院の中ではより仏教色の強い催事が数多く行われている、そのことを私はモニターレビューへ参加することで改めて深く知った。
人生というのは「一瞬」を繋げとどめたもの結果である。人はその一瞬が永遠でないことを理解しているからこそ、それらを愛おしく思い、大切にしようと考える。おそらくレビューという行為は、その「一瞬」を複数のレビュアーがそれぞれの色で切り取り、掬い上げ、一瞬の淡い映像をより強烈に、そして鮮明に残しておくものなのだろう。このような取り組みを人の「一瞬」を大きな意味で司る寺院のもとで行えていることに私は趣を感じた。

モニターレビューの座談会は、「印象に残っているレビュー」「レビューをしたことによるレビュアー自身の変化」「今後の應典院に対する展望」(大意)の三部門に分けて討論された。
モニターレビューが、應典院で催されている一瞬を切り取り定義づけるものだとすれば、座談会は「なぜ一瞬をレビューという形で残すのか」の定義づけをレビュアーそれぞれの価値観や作品観、生き方などを元に深化させる作業だったように思う。催事や作品がレビューという過程を経ることで一つの位置づけがされるように、座談会によってレビュアーの中のレビューという存在に対する位置づけがリアルタイムで明確化される。おそらくレビュアーも観客の前で言語化することにより、その象りや質感が浮き彫りにされたことだろう。そんな様子を覗く事が出来た当イベントは観客にとって、とてもスリリングな時間だったに違いない。

私は自分自身のレビューの意義を考えた時、初めは単純な自己顕示の欲がそこにあったことを思い出した。そこにはあまり應典院がどうであるといった想いや、レビューをこういう風に書きたいといった目標もなく、ただただ自らの文章を公の場で公表できる嬉しさが何よりも強かった。
ところがレビューに参加していくうちに、演劇以外の様々な催事を経験していく機会が増えた。墓の中で考える詩作、親しい誰かと別れたあとの「心」との付き合い方、グリーフを取り入れた作品。その中で私は、人生の「一瞬」について深く考える時間が長くなったことに気付かされた。以前は寺院と関わりを持つような機会もほとんどなく、ともすれば他人事のように思っていた死生観などに対し私の中で確かな色がついたのである。
昨年度、祖父の死に直面した際には、その事をより強く鮮明に感じた。もしも應典院でレビューを書いていなければ、この喪失感にどのような折り合いをつけることが出来ただろうか。それも應典院の催事を経験し、レビューという形に残すことで自身の考えが定義づけされたからこそ、すとんと自身の中で腑に落ちた部分は少なからずある。私はこの場を借りて應典院にお礼を言いたい。本当にありがとうございました。

死生観というのは私の中で、「一瞬」を「一瞬」だからこそ大切にするという考えと、「一瞬」だからこそそれらを「永続的」なものに変えていくべきだという考えが、混在しているものだと思う。
だからこそ人は、人との思い出を大切に考え、何かの形で思い出を残そうとするのではないか。そして、その一環として、モニターレビューがだれかの心の中で、一瞬を永遠のような形に残すような存在になれていれば、これほど嬉しいことはない。

他のレビュアーの意見や考え方は、近日上がるだろう座談会の動画を是非参照にして貰いたい。九者九様の話は、レビューと相互に見比べても新しい発見があると思う。また、座談会最後の秋田住職の言葉は考えさせるものがあった。ミクロとマクロ。そのどちらの観点も意味があるが、自身が或いは所属している組織がどのような方向性に向かうべきかを踏まえて、戦略は立てる必要があるのだろうと感じた。私自身はマクロの方針をとって、わずかながらでもマジョリティーの方へ挑戦し続けたいのだと思う。

上記のような考えに至ったのは他でもなく應典院での経験があったからこそだ。人生は短く、だからこそ美しい。けれど、いつかそんな一瞬も形を無くしてしまうのであるなら、「一瞬」に名前をつけて保存するような活動にも大きな意味があると心から私は思う。

 

 

横林大々(作家・『即興小説バトル』主宰)
https://kakuyomu.jp/users/yokobayashi_daidai

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横林大々
(作家・『即興小説バトル』主宰)