2019/4/6 應典院寺務局:日本仏教「臨床」の最前線!~ちくま新書新刊『ともに生きる仏教』発売記念~を開催いたしました
去る4月6日、大谷栄一編『ともに生きる仏教――お寺の社会活動最前線』(ちくま新書)刊行記念として、「日本仏教「臨床」の最前線!」を應典院本堂にて開催いたしました。本書は佛教大学教授の大谷さんが監修し、6名の実践家浄土宗僧侶、2名の研究者による「日本仏教の社会活動」の報告をまとめたもの。日本仏教の現在が伝わってくる内容です。「おてら終活 花まつり」の関連企画でもある今回は、應典院本堂に寄稿者8名が全員揃い、熱いトークを展開しました。
冒頭、第一章「なぜ、お寺が社会活動を行うのか?」を担当された大谷さんからの趣旨説明では、2000年以降の仏教界の新しい流れとして、僧侶の小川有閑さんが提唱された「発信系」「実践系」の区分を紹介するとともに、彼岸寺、フリースタイルな僧侶たち、おてらおやつクラブ、ひとさじの会、臨床宗教師などの活動が、90年代後半以降さかんにとりあげられるようになった「宗教の公共性」に関する動きであると示されました。また、書名にある「ともに生きる仏教」とは「ともにすること、ともにあること」、つまり「対話と協働」や「ケアと臨床」というキーワードに関わっているとして、執筆順に具体的な活動報告に移りました。
松島靖朗(浄土宗安養寺住職)さんは、第二章「貧困問題―「おてらおやつクラブ」の現場から」を担当。「おてらおやつクラブ」は、お寺に余っている「おそなえ」を、「おさがり」として貧困家庭の子どもたちに「おすそわけ」する社会福祉活動です。お寺の「ある」と社会の「ない」をつなげ、NPOと連携しながら課題解決にあたるこの活動は、2018年のグッドデザイン大賞に輝き、仏教界のみならず社会的に大きな注目を集めています。そこに至るまでの思いや、周りからの声などについてお話いただきました。
池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)さんは、第三章「アイドルとともに歩む―ナムい世界をつくろう」を担当。「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」の創刊をはじめ、現在は「お寺×アイドル」「ドローン仏」などで、賛否両論を巻き起こす多彩な活動に込めた真意についてお話されました。宗教色を保ったまま、異領域に越境する活動を通して生み出される仏教と人々との結びつきや、お寺という場が秘めた無限の可能性について言及がありました。
関正見(浄土宗正福寺住職)さんは、第四章「子育て支援―サラナ親子教室の試み」を担当。
乳幼児と、張り詰めてしまいがちな子育て中のお母さんたちに寄り添い、お寺の落ち着く大きな空間でホッとする瞬間を持ってもらいたい、と総本山知恩院サラナ親子教室を主宰されています。「サラナ」とは、昔のインドのことばで「拠り所」という意味。僧侶として悲しみに立ち会うことが多い中、子育てに関わる楽しさによって精神的バランスが取れると語られました。
猪瀬優理(龍谷大学社会学部准教授)さんは、第五章「女性の活動―広島県北仏婦ビハーラ活動の会」を担当。唯一の女性の執筆者・研究者としての立場から、お寺の奥さまを中心とした「広島県北仏婦ビハーラ活動の会」を紹介、女性たちの主体的な社会活動について報告されました。従来の男性中心的な仏教組織においては、女性たちは従属的な立場に置かれ、信仰に基づく思いを自由に表現できなかったのではないかと、重要な問題提起がされました。
大河内大博(浄土宗願生寺住職)さんは、第六章「グリーフケア―亡き人とともに生きる」を担当。このシンポジウムでは、臨床現場でのグリーフケアに取り組むチャプレンとして、18年間を経た状況を俯瞰的にお話されました。仏教者が公共空間で苦しみに寄り添うことを重視する臨床宗教運動が、3.11以降同時多発的に起こるとともに、それがただのブームではなく、「亡き人とともに生きる」本来の仏教の姿に則しているのではないかと語られました。
曽田俊弘(浄土宗浄福寺・西蓮寺住職)さんは、第七章「食料支援と被災地支援―滋賀教区浄土宗青年会のおうみ米一升運動」を担当。2009年度から浄土宗滋賀教区で活動を始め、フードバンクなどを通した食糧支援によって地域の貧困に寄与しようと。また、3.11をきっかけに被災地支援にも訪問され、直接お米を手渡されています。社会活動に取り組んできた先達の活動を紹介するとともに、「おうみ米一升運動」まで導かれたご縁への感謝を述べられました。
そして秋田光彦(浄土宗大蓮寺・應典院住職)は、第八章「NPOとの協働から、終活へ―應典院の20年と現在、これから」を担当。阪神淡路大震災などを背景に「お寺とNPOの協働」をうたった應典院の活動について紹介し、無縁仏が全国一である大阪の現状にも触れながら、昨年度から行っている「おてらの終活プロジェクト」や、新しい終活センター「ともいき堂」について発表しました。
休憩をはさんだ後半は、8名の登壇者が一堂に会し、大谷さん進行のもとディスカッションを行いました。「社会活動における宗教性」「お寺の場所性」「お寺の内と外、ホームとアウェイ」「地域におけるお寺の役割」などのテーマについて、それぞれの方からコメントが語られました。なにか明確な結論が出たわけではありませんが、「葬式仏教」と揶揄されることも多い現代日本仏教の、また異なる姿が議論を通じて浮かび上がったように思います。
とても全てのコメントは紹介できませんが、松島さんの「自助・公助でも共助でもなく、仏助としての慈悲の実践だと思っている」とのご発言、池口さんの「僧侶やお寺が社会活動に深くコミットするよりも、お寺に関わってくれる団体・人が増え、それぞれの方が宗教的エッセンスを取り入れながら社会活動を実践していくための媒体となりたい」とのご発言、大河内さんの「お寺の外に出て、社会の只中で悲しみに出会う。あるいは、僧侶であることを脱ぎ捨てていくことではじめて、お寺の内にある悲しみに出会うこともある。そういう時期が宗教者には必要だと思う」とのご発言などが印象的でした。
とはいえ、ここで扱われた議論は『ともに生きる仏教――お寺の社会活動最前線』全体の触りでしかありません。應典院にも在庫がありますので、ぜひお手に取っていただければ幸いです。