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サリュ 第67号2010年5・6月号

目次

巻頭言
レポート「築港ARC」
コラム 高羽淳一さん((特活)関西国際交流団体協議会)
インタビュー 朝田亘さん(日常編集家・元築港ARCチーフディレクター)
編集後記

巻頭言

みずからの内的必然性は何かを熟慮する方向に目を転じませんと、自律も、自立も、独立自由も、永遠に視野に入ってこなくなります。

宮元啓一
「仏教の倫理思想」より

Report「和」
出会った人から自分たちへ自分たちからまだ見ぬ人へ

場所が弓に、人が矢に

「芸術表現活動ワンストップサービスモデルの創造:インターンのコーディネートによるアートリソースセンターの設置と情報発信基盤整備」これが、2006年6月9日、われわれが財団法人大阪都市協会による芸術系NPO支援・育成事業の提案型公募に提出をした企画書に掲げた名前です。6月23日に第一次選定委員会による書類審査を経て、スタッフの大塚郁子・事務局長の山口洋典が7月13日の第二次選定委員会のヒヤリングに参加、そして、大阪アーツアポリアの「なにわーと」プロジェクトとあわせて採択に至りました。この時点では「築港ARC」という名前は、まだ定まっていませんでした。

その後、4年度にわたって展開してきた築港ARCも、2009年度末の事業委託契約期間終了と共に、その活動を完全に終えました。当初、情報収集(オル棚、ARCトークコンピレーション)、情報公開(アート・スタートアップベンチ、ARCメディア)、情報流通(プロジェクトマネジメントの実践)の3本柱で事業を展開し、2008年度からは「リソース共有型」「リソース体験型」事業に再編し、若手のスタッフによって場が生成、そして舵取りがなされていきました。この築港ARCの名前は「アートリソースセンター」の略でもありますが、同時に「弓状のもの」という英語とのダブルミーニング(二重の意味)を持たせています。活動終了後もコンテンツのみ遺しているウェブサイトにもあるように、「ARCが弓となり、そこに携わる人々が矢となって、現代芸術の創造の担い手として社会に出て行くきっかけを提供したいという思いを込めてつけられた名称」なのです。

以下、本紙「サリュ」では珍しいのですが、スタッフによる署名記事を掲載させていただきます。あの場にどんな思いを込めてきたのか、感じ取っていただければ幸いです。

引き受け流れていくこと

—ディレクターの立場より—

築港ARCは当初、トークサロンやガイドマップをつくるワークショップなど、少数人数型の企画を主に展開していました。その後、それらの企画で出会っていく人たちと話を重ねる中で、受け手の状況や背景を知ることができ、今度はガイドマップを使ったまちめぐりをしたり、相談内容からイベントが生まれたりと次へから次へと展開させていきました。目の前の状況をスタッフそれぞれの興味関心で切り取り、それからまた新しい状況が生まれて…といった様に、完結させずに次にまた受け流していくような柔らかい形を留めていたように思います。

しかし、まだ出会えてない人も沢山います。これらの活動は序の口程度の出会いや展開かもしれません。このように受け止めている背景には、築港ARCが掲げてきた「アート資源の活用」という視点があります。一方で、この視点を自分の日常生活の中で少し意識をするだけで、築港ARCの活動以上にもっと広がりのある出会いのサイクルを個々人が生み出すことができると認識しています。

私は築港ARCに2007年度から関わったのですが、始めは企画チラシのデザインをしたり、各スタッフの企画や全体のサポートをしていました。次第に私も企画を受け持つようになりました。私自身、今度は同じ大阪で生活をする者として、これまで出会った人たちやこれから出会っていく人たちとお互いに見守り、手伝い合いながら土壌をつくっていきたいと思っています。

私たちがやってきた小さなサイクルは、きっと種を持つ植物みたいなものです。ぜひ、築港ARCが終了しても、こういったサイクルがいろんな場所で生まれることを願います。そして、お互いに少しずつ成長しながら、またどこかでお会い出来る日を楽しみにしています。
(蛇谷りえ/築港ARCサブディレクター)

小レポート

劇場空間(space)に生まれる物語(drama)

應典院の夏の風物詩「space×drama」、着々と準備が進んでいます。今年度も2月より、月に1回、参加6劇団と應典院寺町倶楽部による制作者会議において、前年度までの内容で継承すべき点と、新たな挑戦とのすりあわせをしています。とりわけ2007年の優秀劇団「突劇金魚」と昨年の優秀劇団「baghdadcafé」が議論の中心となり、毎回とも活気にあふれています。

space×dramaは、2年間にわたる劇団の成長・育成の機会という趣旨で、毎年、参加劇団の中から優秀劇団を選出し、次年度に主催者である應典院寺町倶楽部と協働(劇場代を主催者が負担、制作費をそれ以外に集中)でプロデュースする枠組みです。今年の選考対象劇団は「コトリ会議」、「プラズマみかん」、そしてユニット「Micro To Macro」、そして昨年に引き続き参加の「Zsystem」。

各劇団の横顔(5月20日の決起集会にて動画収録予定)はリレーブログや劇評とあわせて特設ページ「http://spacedrama.jp」で紹介。6月30日(水)から8月29日(日)まで、ぜひご関心くださいませ。

小レポート

應典院の開館日、毎木18時半に…

築港ARCプロジェクトが終了した今春、應典院寺町倶楽部では「チルコロ」と題したトークサロンを開始しました。大きな特徴は「毎週木曜日の夜」は「必ず」應典院で何かをやっている、という機会をつくったことです。要は毎月第3木曜日の「いのちと出会う会」以外にも、単発「イベント」ではない定例事業を、という狙いです。

イタリア語で「輪(circle)」の意味の「circolo」。開始初年度はテーマトーク、読書会、大学の公開ゼミなど、1週毎に性格付けを行っています。「テーマを設定することで、余計、気軽に参加するのが難しくなる」といった声も聞こえてきそうですが、あくまで「いつでもどうぞ」と、足を運ぶきっかけです。どうぞ、気軽にお越しくださいませ。

小レポート

お坊さんだって、大志を抱く!

東京・港区の曹洞宗青松寺で開催されている「ボーズ・ビー・アンビシャス(BBA)」が、3月9日に應典院で開催されました。年に2回の頻度で既に13回実施の、僧侶による僧侶のための勉強会ですが、関西では初の取り組み。きっかけは、過去7年にわたって、関西方面から何度も参加してきた方々から「関西でも、そして第1回は應典院で」という相談を頂いたためです。

7月20日の準備会発足以来、16人の委員が月1回の協議。コモンズフェスタでのプレイベントを経て、本番はメインゲストに上田紀行先生(東京工業大学)を迎え、親交の深い秋田光彦大蓮寺・應典院住職も話題提供。関西圏を中心に各地から63名の青年層らが、地域と宗派を超え「次代の僧侶の可能性 20年後、お坊さん、してますか?」に沿って、激論が交わされました。

コラム「裨」

拝啓 事業仕分け人様いつか振り返る日のためのメモ

大阪市事業を担う2つのNPO。大阪アーツアポリア、得意技=アートの「異化作用」、築港ARC、得意技=アートの「親和力」と私のメモにある。私が携わる国際交流・協力に似て、アートは媒介、手段として分野やセクターを横断するツールとして圧倒的に優秀。築港ARCは、大阪という都会性をふまえて、その特性を巧妙に事業に織り込んでいた。
情報収集・発信事業と見えるアートスポットの地図化。参加者が紡ぐ多層のコンテクスト上に置かれた場所は、肩書きなしだが、一定の幅の価値観、感性のもとに個人が他の個人にアクセスできる公共的なランドマークの発見作業となっていた。(だからこそ、生活情報に準じるものとして、こういう情報こそ多言語で発信すればいい。)

他の事業も、すべからくアートを活かしながら、中間支援組織としての先進性や実験性を備えていた。とりわけ、「住み開き」は、一連の事業の最後を締めくくるにふさわしいと感心ひとしきり。都会に住まう個人として、その人なりの「アート」を使い、公に劈(ひら)かれるとは?都市に住む個人、アート、公共性、3題咄への解答例の見事な実践となっている。コンセプトが都会的だという批判は、事業の本質がよく伝わっているという証左だし、築港ARCとしての一貫性が保たれていたことへの賛辞とさえ聞こえる。

自治体の「現代芸術振興」施策の多くは、直接の裨益者が少ないとの非難にさらされている。制作者や愛好家だけが事業対象なのではなく、誰かが人生のある時期に必要とするセイフティ・ネットや分野を越えた公共インフラを築くツールとしての現代芸術振興の可能性を示すと同時に、孤高の営みの困難さと楽しさも見せてくれた築港ARCの4年間。大阪市と應典院寺町倶楽部の事業に継承、発展されていくのが楽しみでならない。

高羽 淳一((特活)関西国際交流団体協議会)
1967年生。新宿区立淀橋第4小学校で、時間割を廃し教科を越境した1、2年担任の豊本みどり先生と、下ネタや不良噺を通して生徒を命や生と向き合わせた図工の半田朗先生を通して、「真っ当」な存在は少数派であると痛感。現在、(特活)関西国際交流団体協議会に所属し、2002年から民間のNPO拠点施設「pia NPO」(大阪市港区)で入居団体を見守り中。
思い出のアート・スポットは並木座(銀座)、文芸坐ル・ピリエ(池袋)、スタジオ200(池袋)、AFIのプログラム・シアター(ワシントンDC)、MZA有明、汐留PIT、新宿ロフト。印象深い住み開きは「赤塚“生前葬”不二夫邸」と「野口“体操”三千三邸」。

Interview「交」

朝田 亘さん (日常編集家・元 築港ARCチーフディレクター)
自分が関わっている分野の専門性だけに閉じこもらず無節操なまでに領域を横断するアートの可能性を探りたい。その先には、日常から立ち上がる生身の表現があるはず。

築港ARCで一番最初にやろうと思ったイベントは、ライブラリースペースを舞台にしたトークイベントでした。様々な分野で面白い社会活動をしている人たちが集まって交流したり、情報を発信していくことが事業の目的だったので、まずはスペースに足を運んでもらって、活動する人同士が顔の見える関係をつくれるようにすることを考えました。築港という場所はやや辺鄙な地域なので、ここに人を集めようと思えば、必然的にイベントにオリジナリティが求められます。そこで思いついたのは、アートを軸にしつつも、教育や環境、福祉や医療、まちづくりや食など、バラバラのゲスト陣を月に1度、コーディネートしいくトークイベントだったのです。CDでいうところのコンピレーションアルバムのようなコンセプトを掲げ、「ARCトークコンピレーション」という名称のイベントにしたんです。しかも実際に現場で参加できない人のためにトークの内容をすべて録音し、ポッドキャストで流す「ARCAudio!!」という仕組みも作りました。また、現場は現場で、それ程多くの人が集まれるキャパシティでもなかったので、ゲストとお客さんとの境目のない、濃密なコミュニケーションが生まれるサロンとしての特色を強めました。

このイベントのお客さんの中には、自身が自ら大胆で独創的な活動をしているケースも多々ありました。特に面白かったのは自宅や個人事務所を集いの場として開放している人たちの活動なんです。そういった活動を「住み開き」という言葉で再定義し、現地のフィールドワークをしていくイベントを組みました。そういう意味で「住み開き」は「ARCトークコンピレーション」の発展バージョンかもしれません。

また、「住み開き」を続ける中で〝私的な場所をいかにして公共に無理なく開くか〟という実験と、〝公共的な場所を私的に再解釈しクリエイティブに使いこなす〟という実験と、同時に興味が湧いてきました。そこでランドスケープアーティストの花村周寛さんと共に、都市型パフォーマンス企画「エクソダス」を考えたのでした。路上や公園や公共機関を面白く再利用して、自分たちでまちを占拠していくようなアクションは、「住み開き」と互換性があるように思います。この実践は、應典院での総合芸術文化祭「コモンズフェスタ」の企画として、築港から應典院へと知恵が引き継がれていくことになりました。

築港ARCの事業はこの3月末で終了となりましたが、僕を含めスタッフそれぞれが築港ARCで学んだスキルや人的ネットワークを活かし、今後も大阪を拠点に活動していきます。改めて、これまで築港ARCの活動に興味、関心を抱き、数々の場に参加いただいた方々の支えがあってこそ、充実した活動をすることができたました。本当に、心から感謝しています。

個人的には、これまで通りアートをひとつの活動の軸にしつつも、自分が関わっている活動分野の専門性だけに閉じこもらないでいたいと強く思っています。同時に、これからは大阪だけではなく、違う都市部や地方でも仕事を展開していきたいですね。各々の場所にいる人たちとどんな出来事を生むことが出来できるか、その都度試していきたいと思います。「住み開き」は引き続き全国各地やって行きたいと考えています。どうぞ今後ともよろしくお願いします!

編集後記〈アトセツ〉

「山口が着任してからの應典院、最大の成果は築港ARCだった。」昨年度末から今年度初めにかけて、幾度となく、秋田光彦住職が仰ったことばである。本号はその4年の奇跡を、限られた紙面の中でも余すところ無くまとめるべく編集したものだ。よって、変則の6ページ仕様となった。
言うまでもなく、そうして語られる「成果」とは、結果を出したスタッフと、そこに意味を見出して頂いた多くの他者によって位置づけられたものだ。それらへの謝意を最大限に表すため、絶大なる功労者に、枠を譲ることにしたい。

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3年半前の築港ARC開所準備の苦労は今でも鮮明に憶えています。とにかく右も左もわからぬ中、半ばやみくもに沢山の諸先輩方に助言を聞いてまわっては企画書に落とし込むプロセス。思えばあの行動が築港ARCの原点を作り上げたのでした。築港ARCでおこなったトークサロン、ワークショップ、地域イベント、すべてのプログラムの目的は人と人とを繋ぐ媒体になること。僕らスタッフと参加者の方の出会いは当然ながら、参加者同士が何かしらの繋がりを生み出し、新たな活動展開へと誘う。そういったサイクルを作り出すことをずっと考えてきました。最近思うのですが、「仕事をするために人に出会いにいく」のではなく、むしろ「人と出会うために仕事をする」といった感覚が自分にはしっくりきます。その考え方が結果としていい仕事にも繋がるのでは!?と少しずつ実感する今日この頃です。(アサダワタル/築港ARCチーフディレクター)

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