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6月15日(火)お寺MEETING第1弾「ネット世代は、寺院を変えるか」を開催

6月15日(火)お寺MEETING第1弾「ネット世代は、寺院を変えるか」を開催

去る2010年6月15日(火)、19時から21時にかけて、應典院が送る新企画「お寺MEETING」の第1弾が開催されました。「開放系 Vol.1」と掲げられた回のテーマは「ネット世代は、寺院を変えるか」でした。32名の方にご参加をいただいたのですが、この取り組みでは、Ustreamという技術を使い、應典院初となる「ネットでの動画中継」を行いました。そうして、ネット世代の僧侶をゲストに、「関係性」を問う催しとなりました。

2010年6月15日「お寺MEETING」開放型Vol.1

全体の司会は山口洋典主幹が務め、議論の進行は秋田光彦住職が担いました。最初、司会による開会あいさつに続き、まずは参加者からゲストへの質問やその場への期待などについての意見が寄せられました。15分程度のあいだに、以下、13の視点が投げかけられました。これらに触れながら、ゲストの方々の話題提供が行われていきました。

  • 1)3人の話し手はそれぞれにインターネットに対して異なる立場を持っているだろうから、各々の姿勢を明確に示して欲しい。
  • 2)参加するまでに彼岸寺(http://www.higan.net)を閲覧して感銘を受けたので、どのように運営しているのかの枠組みを教えて欲しい。
  • 3)インターネットでのやりとりにおいて運営に一定の手間をとられると思うので、どんな時間の使い方をしているかを知りたい。
  • 4)インターネットでつながることと、リアルの場で出会うことの間にジレンマはないか、ぜひ尋ねたい。
  • 5)個人的な印象として社会活動に対しては元気なクリスチャンが多いと思っているのだが、仏僧ではどうか?。
  • 6)個別寺院がホームページを活用していくことの可能性は?
  • 7)インターネットの取り組みが進むことでお寺はどう変わったか?。
  • 8)そもそも僧侶によるメディア発信は誰を対象にしているものなのか?。
  • 9)インターネットは直接顔が見えないメディアとされているが、そうしてオンラインでスピーディーに人とつながるコツがあれば教えて欲しい。
  • 10)彼岸寺は「超宗派仏教徒によるインターネット寺院」と掲げているが、超宗派での情報発信の現状・課題・可能性は?。
  • 11)インターネットの世界は匿名性が保障されている場合が多いゆえに、暴論・異論が出てくることが多いと思うが、それらへの向き合い方は?
  • 12)ネットというメディアが持つ力、とりわけその内容がどんな意味をもたらすのか、特に人間関係の編集力についてどう考えているか。
  • 13)寺院経営の面からみたネット・メディア活用の効果など採算性の観点についての見解を尋ねたい。

そもそも、今回の催しは、秋田光彦住職が「今、会いたい僧侶に、みんなで会おう」という願いから企画がなされています。そこで、これら13の意見や質問をいただいた後に、秋田住職から開催趣旨が説明されました。要約すると、次のようなことが伝えらています。

「本日招いた2人のゲストがネット世代、つまりデジタル世代とすれば、自分はやはりアナログ世代だと思っている。そもそも今日の話についていけるか不安もあるが、今、寺が未来や展望を開きにくい状況となっているのは、布教や檀家さんとの関係で閉鎖的とされてきた結果ではないかと考えている。そこで、開放型のお寺へと導くためには、一定のソーシャルスキル(社会と交わり、他者と共に生きていく力)が求められるだろう。今日はぜひ、2人の実践と、ここに集った方々、また中継でネットワークの先にいる方々と共に新しいものに触れたい」

組織と個人の立ち回り、ネットと活字の使いこなしに、世代論を超えて接近する。

今回のゲストは、真言宗僧侶でインターネット寺院「彼岸寺」運営に携わる松下弓月さんと、真言宗僧侶でNPO法人HAPPY FORCE理事長の今城良瑞さんでした。秋田住職の趣旨説明に続き、今城さん、松下さんの順に話題提供がなされました。今城さんは、NPO法人でmixiのコミュニティの運営を通じて、虐待、DV、性犯罪被害など、トラウマの残る経験をした人たちのための支援に取り組んでいらっしゃいます。一方松下さんは、もともと1人の僧侶の個人ブログとして始まった「彼岸寺」のメンバーとして、他3名の僧侶と200人くらいの支援者の方と共に多様な情報を編集し、発信しておられます。
そもそも今城さんは、いわゆる在家出身のため、そもそも自坊を変えようという意識は薄いとのこと。そうした中で、mixiのコミュニティ「言えない心の傷」の管理人として、参加する約25000人からの「つらい」「苦しい」という書き込みにことばを重ねています。とはいえ、ことばだけで解決しないことも多いと考え、「現実の世界に出てきて」という願いを込めて、もう一つのコミュニティ「ネットからリアルへ」の管理人も担っています。ただ、後者は30数名の参加とのことであり「匿名の世界だからこそ、あの人数が集まってくるのだろう」と語りました。
もう一人のネット世代の僧侶、松下さんは、小4からパソコンを使い、高校時代にポケベル。大学時代にiモードと、デジタル機材がない生活をしたことがないと言います。だからこそ逆に、インターネットが単なるツールであり、どう使うかが重要であると断言されます。それ以上に、双方向のやりとりを重ねることができる媒体がこれだけ社会に浸透すれば、自ずと仏教の位置づけられ方も変化、と述べました。つまり、お坊さんが正しい仏教を伝えても、間違ってないかと突きつけられることもあり、むしろ檀信徒が信じる仏教が実践していこうとして、仏教を深めれば深める程、僧侶に対する問いが立っていくだろうと言います。
こうしたやりとりの内容は、動画配信サービス「Ustream」の録画(http://www.ustream.tv/recorded/7674992)にて全編を見ることができます。印象的だったのは、「基本的にネット上のコミュニティは布教の場所ではないが、自分が持っているのは仏教しかないのだから、仏教から接近していく他にない」(今城さん)や「既成仏教に対抗する僧侶の活動と言うより、自分も一人の仏教徒として自己研鑽の機会として向き合っている」(松下さん)という発言でした。なぜならこれらの発言は、「ネット世代は、寺院を変えるか」という問いを掲げた催しでしたが、寺院を変えるためではなく、仏僧として生きる覚悟を決めたことの表れとして、ネットの活用に取り組んでいることを象徴するものであると捉えられるためです。最後に、先程紹介した13の質問・コメントに対して、主催者の側から内容を整理し、一問一答式にて内容をまとめ、次回の「お寺MEETING」の問題設定の「ネタ帳」とさせていただきます。

  • 1)秋田住職は宗派や組織の立場で自分を語りつつもTwitterやBlogなどを活用する、言わば中道を行く僧侶であるが、今城さん・松下さんは共に仏教徒としてネットを手段として活用しつつも、リアルとネットの双方での場づくり重要であるとする今城さん、一方で多様なメディアを通じて自らの研鑽も高めながら人々に働きかけを行っている松下さん、こうした微妙な立場の違いが見られる。
  • 2)彼岸寺は3700名が登録するメールマガジンと500名程度のTwitterのフォロワーを持っているが、特にそうした個人や広告主(そもそも広告は取っていない)などを囲いこもうと考えているのではなく、月1の編集会議により、50000pv、20000人のユニークユーザーに対して、僧侶4人(無償)と200人のスタッフによって運営されている。
  • 3)確かにインターネットでのやりとりには時間がかかり、例えば今城さんが関わり始めた当初は「寝る間もなかった」そうだが「早朝から返信する」ようにしたところ、「やる気、希望がある時間だから<がんばろう>などと夜とは違うノリで返信ができるようになった」とのことで、「ネットに24時間依存する人もいる中、時間感覚が大事」との知恵が紹介された。
  • 4)インターネットでつながっていれば決してよい、とは(いずれのゲストも)考えてはいないが、やはりリアルな場に足を運ぶ人(あるいは、運ぶことができる人)は限られる(あるいは、限られてしまう)。
  • 5)仏僧でもネットを通じ、リアルな場でつながることで、宗派の話題を超えて議論をする機会が増えてくれば、社会的な問題に対しても話は及び、行動していく人々が増えてくると思われる。(例:清めの塩の問題など)
  • 6)個別寺院がホームページを活用していくことによって、宗派の協議を「金科玉条」として「触れないもの」として捉えるだけでなく、それぞれの地域や寺院の置かれた立場に即して何かを伝えていくことができ、一定の束縛感に苦しんでいるとしたら、そこから解き放たれることができるかもしれない。
  • 7)インターネットの取り組みが進むからと言ってお寺が即、変わるわけではなく、むしろ『がんばれ仏教』(NHK出版)で紹介された各寺院の取り組みなどに触発されながら、何かを始めるきっかけとしてインターネットをどう活用できるかを考えることが妥当。
  • 8)そもそも僧侶によるメディア発信は、個別寺院の檀信徒というわけではなく、活動のテーマ等によって各々位置づけられている。(例:「言えない心の傷」であれば、何らかのトラウマ体験を持った方々、「彼岸寺」であれば「こりかたまった仏教をときほぐして」仏教の方法論に学びたいと思っている方々、など)
  • 9)オンラインでスピーディーにつながっていく上では「こうすればうまくいく」という王道のようなものはないが、少なくとも、興味・関心を抱いて閲覧・参加してくる方々の声にきちんと対応していくことが大切。
  • 10)超宗派での情報発信については、教団間では難しいかもしれないが、特に若手の僧侶どうしのネットワークとしてはメーリングリスト等を通じて構築されてきているために、必要であれば取り組んでいくことができるものの、各々の宗派の教義の違いによって、共に行動することが難しくなることも想定できる。(そのため、場合によっては自らの宗旨を変える必要はないだろうか、といった自問が求められることがあるかもしれない)
  • 11)インターネットの世界は匿名性が保障されているからこそ異論や暴論が出てくるとの考えもあるが、それを懸念してしまっては、匿名性が担保されているからこそ、自らのことを語ることができる人たちを疎外してしまうことになるため、基本的には匿名性だからこそ何とかことばを寄せて来た方々に、丁寧にことばを重ねていくことが大切であり、それによって、暴論や異論を吐く人々が排他的に扱われていくことを信じていく必要があるのではないか。
  • 12)インターネットを通じて、一緒に何かをやりたいと考える人たちが集ってくるようになることが一つの力であると考えられるとともに、そうして集まってきた人たちと何かの取り組みを行ったことをインターネットで届けていくと、既存のマスメディアに紹介されていくといった具合に、社会から情報として編集、選別されていく。
  • 13)インターネット・メディア活用によって寺院経営に対して直接数字の面で効果が示されるとは言えないが、僧侶として誰を助けていかねばならないのか、さらには誰によって寺院が支えられているのか、ということを僧侶・寺院が考えることにより、寺院の経営方針を検討・構想する手がかりを持つことができるだろう。(同時に、考える僧侶・寺院は考える僧侶・寺院として社会から選別されるだろうし、考えない・行動しない僧侶・寺院は考えない・行動しない僧侶・寺院として選別されることになるだろう)